▶ 2011年1月号 目次

新聞やテレビが失ってはならないもの

産経新聞論説委員 木村良一


新聞やテレビなど既存のメディアにこれほど大きな衝撃を与えたニュースはないだろう。昨年11月、沖縄県尖閣諸島沖の中国漁船の衝突を撮影したビデオがインターネット上の動画投稿サイト「ユーチューブ」に流出した事件である。事件そのものは神戸市の第5管区海上保安本部の主任航海士が名乗り出たことで解決の方向に向かったが、インターネット時代の既存メディアの在り方を深く考えさせられるニュースだった。
 流出事件は衝突ビデオの非公開を決めた民主党政府に対し、「公開して日本側の正しさを世界に示すべきだ」との世論が盛り上がっているときに起きた。使われたユーチューブは、放送局のような設備や配信網を持たなくとも、インターネットにつなぐだけで簡単にかつ瞬時に動画を世界中の人々に見せることができる。だれもが放送局になれ、不特定多数が利用するネットカフェなどのパソコンから投稿すれば、だれが投稿したかも分からない。内部告発には打って付けのサイトである。
 しかしながら日本最大といわれる電子掲示板サイトの「2ちゃんねる」に掲載される情報がそうであるようにユーチューブに投稿される動画には信憑性の欠如という大きな問題がある。ユーチューブは投稿される動画を厳しく審査することなく、ほとんどノーチェックで掲載しているからだ。
 ここで考えてみたい。仮に問題の衝突ビデオが新聞社やテレビ局に送られていたらどうなっていただろうか。新聞やテレビは、少なくともそのまま使うことはしない。そのビデオが本物かどうかや、本物であっても一部に手が加えられていないかを調べ上げてからニュースとして扱うだろう。新聞やテレビには公器という自覚があり、おのずと報道倫理が働く。本物かどうかの真偽がつかないなら紙面化やニュース番組としての放映はしない。
 捜査当局の調べで分かったことだが、主任航海士はユーチューブに投稿する前に衝突ビデオを記録したSDカードをCNNの東京支局に郵送していた。しかし、CNN側はSDカードの入った封筒に差出人名がなく、カードの内容を説明する文書もなかったため、コンピューターウイルスの危険もあると判断してSDカードを破棄したという。CNNは届いたSDカードが得体の知れないものだと考えたのだろう。やはり既存のメディアにとっては告発内容の信憑性や告発者に対する信頼性が大きなポイントになる。

 ところで内部告発サイトとして海外で大きな話題となっているのが、英国で逮捕された元ハッカーが4年前に設立した「ウィキリークス」だ。ネット上にイラク戦争やアフガニスタンで活動する米軍の機密文書や映像、米政府の数多くの外交公電を公開して世界に衝撃を与えている。
 不透明なところもあるが、このウィキリークスは米紙ニューヨーク・タイムズ、英紙ガーディアンなど欧米の既存有力メディアと組んで、告発された情報が本物かどうかを検証してからネット上に公開しているという。独自の情報源を持ち、情報処理に手慣れた既存メディアのベテラン記者たちが裏取り取材をするから情報には信頼性が生まれる。
 もちろん、協力した既存メディアもネット公開と同時に報道するが、こうなってくると、既存メディアが利用されていると言ってもよいだろう。この先、ウィキリークスのようなサイトが独自に情報の分析や検証ができる能力を身につけた場合、既存メディアにとって恐るべき存在になるかもしれない。
 これまで社会に情報を提供して世論を形成することができるのは、既存のメディアに限られていた。しかし、インターネットの発達によって既存メディアが情報発信を独占する状況は崩壊した。
 中国漁船衝突ビデオの流出事件を考えれば、これは明白な事実だが、それだからといって新聞やテレビの存在価値が失われたわけではない。
 インターネット上の情報に比べ、新聞記事やテレビニュースは確実に信頼されている。ウィキリークスにしても既存メディアの力に頼らなければ信頼性は保てないだろうし、既存メディアのように情報公開の意義や目的、公開した場合の影響までをつぶさに検証できる力はない。
 既存メディアの信頼性は、訓練を積んだ記者が社会で起きる事件や事象、問題をひとつひとつ取材し、責任を持って報道しているから生まれる。インターネット時代の中で新聞やテレビが失ってはならないのは、読者や視聴者の信頼である。

 

(産経新聞論説委員 木村良一 1983年卒)

◇おことわり 産経新聞の社説とは違い記者個人の考えを書いたものです。