▶ 2011年1月号 目次
デジタル難所
ジャーナリスト 陸井 叡
2011年は、民放TVの経営は、ほぼ60年に及ぶその歴史上で最大の難所をむかえるかもしれない。TVは、2011年7月24日、アナログ放送が終了して、デジタル放送に完全に切り替わる準備が進んでいる。TVのデジタル化は2000年12月1日、BSデジタル放送から本格始動した。それから10年、ゼロ台から出発したデジタルTV受信機は、まもなく1億台に迫ろうとしている。
2010年11月末、東京はじめ全国の家電量販店の店頭は、祭りの神輿を囲んで人々が大声をあげている様な騒ぎだった。11月がエコポイントの事実上の終わりと重なったという事もあって、デジタルTVを今のうちにという消費者の大衆心理が異常事態をひき起こした。そして、これは、デジタルTVが10年かけて続けてきた普及の終わり、大団円を意味していた。祭りが終った12月、店頭はまるで裳抜けの殻だった。
こうして祭りは終ったが、実は、民放東京キー局の経営首脳の表情は冴えない。デジタル放送切り替えまであと半年に迫った2011年1月24日、東京では、放送界のトップだけではなく、政府から菅総理大臣、片山総務大臣、更にTVメーカーを代表して、JEITA(日本電子情報技術産業協会)会長を務める下村三菱電機会長らが集結して、デジタル化“完遂の誓い”をする予定だという。
今更、“完遂の誓い”をしなくてはならないというTV経営者の脳裏をかすめるのは、いくつかの拭いがたい不安だ。いずれも半年後、果たしてアナログ放送を止められるだろうかというものだ。
デジタルTVの普及のヤマが過ぎ、まもなく1億台に迫ろうとしている。しかし、それでも、半年後、最大3000万台のアナログTVが残ってしまうと関係者は指摘する。この中には、カーナビゲーションのTVも含まれるが、アナログ放送の終了とともに、およそ3000万台のTV端末が消滅するとすれば、CM収入で経営する民放にとっては、スポンサー側に広告削減の良い口実を与える事になる。
2010年11月26日、片山総務大臣は記者会見で、地上デジタル放送の世帯普及率が11月に90.3%に達したことについて触れ、「90点を取るより、90点を100点にする方が難しい」と述べた。
実は、NHKが内々で調査したところ、デジタルTVの世帯普及率は、2010年10月、最大でも70%程度だったという情報が関係者を慌てさせている。
だが、このセーフティネットは、実は問題を抱えている。衛星が届けるのは、東京キー局の番組のみでCMもローカル番組も“東京版”が届く。首都圏を除く地域の人にとってはローカルニュースはなくなり、ローカル民放の経営者にとっては、財源だった地域コマーシャル枠がなくなってしまう。
TVの経営は、10年前デジタル時代の幕が切って落とされると共に、実は誰も気づかなかったが、長い下り坂に入った。きっかけは、皮肉なことにやはりデジタル技術の申し子、インターネットの普及だった。デジタル技術は、まず民放経営の死活に係わる広告の世界に効率化をもたらした。これまでの様な電通が支配するいわゆる“どんぶり勘定”から、厳密に費用対効果を追求するネット広告へと次第にシフトし、既に2005年、インターネット広告は新聞を追い抜き、今やTVに迫ろうとしている。
一方、スポンサー側は、2008年のリーマンショックによる企業収益の大幅減と共に、TV広告を大きく減らすスポンサーが相次ぎ、TVも深刻な不況に見舞われた。そして、さすがにTVの世界でも、リストラ旋風が吹き始め、役員、従業員の給与カット、番組制作費の大幅削減と一般企業なみの事態となっている。
そして、こうした中でTVは、デジタル化完遂という難所を迎えた。今後経営が難しくなる地方局の再編だけでなく、東京キー局の整理統合をも予想する民放首脳もいる。東京キー局の経営形態も全国ネットの番組とCMは衛星放送で実施、そして、東京のローカル放送は地上デジタル放送が受け持つとする大胆な案も検討されているようだ。こうなると、地方局はこれまでの県域単位からブロック単位へと再編を経て、生き残りを目指すとする見方まで出る等、民放経営はいよいよ“デジタル難所”に差しかかるようだ。
(ジャーナリスト 陸井 叡)