▶ 2011年4月号 目次
社会保障に価値観の転換を
辻 哲夫
(未曾有の少子高齢化)
日本では、低い出生率の下で、21世紀に入って、世界に先駆けて、人口は減少傾向に転じ、高齢化率は上昇し続けている。とりわけ、今後2030年に向けて、要介護になりがちな年齢層である後期高齢者は大都市部を中心にほぼ倍増し約2200万人となる。一方、2030年ごろまでは女性の社会進出などで必要な労働力人口は何とか見通しがついているが、その後は、今から少子化傾向を好転させていかなければ大幅な労働力人口の不足に陥るという深刻な事態を迎える。
(年金・雇用政策、少子化対策)
我が国は2004年の年金改革で、将来保険料の上限を固定する方式をとることにより、経済成長の範囲内で給付水準を制御するという抜本的な見直しを行った。この改革後の年金制度は人口予測の結果次第で見直す必要はなく、少子化傾向が予想以上に悪ければその給付水準が下がり、予想以上に良ければ逆に改善するといういわば自動安定装置が導入された。日本の年金制度は諸外国に比べて相当な積立金を保有し、安定度は高いので、将来はもらえないといった若い人の不安は誤解である。
基礎年金(最低保障年金)をめぐって年金制度が政治の大きな争点とされている。長期間を経て社会保険方式が定着した日本において、現実の問題として税方式化による基礎年金(最低保障年金)は困難であり、財源は、少子化対策や介護・医療に振り向けるべきである。むしろ、不安定な雇用や賃金の下にある非正規労働者について、雇用環境の改善を図ることを基本におきつつ、被用者年金(厚生年金)を適用し年金を保障すればかなりの年金制度の課題は解決する。
社会保障制度の持続性に不安が生ずるもっとも大きな理由は我が国の少子化傾向である。この最大の課題に向き合うことこそが国民の将来不安にこたえる国政の王道であると考える。
少子化対策については10数年間かけて議論がなされてきており、仕事の仕方の見直しと地域における子育て支援を中心に総合的な政策の柱も立っている。ばらまきでない形での思い切った財源の投入も必要である。国家としての政策の優先順位を誤ってはならない。
当面はこのことと併せて都市部における後期高齢者の激増が大課題である。
(予防政策、地域ケア政策) 今日、高齢者の大部分は、亡くなる前に虚弱な期間を経る。地価の高い大都市部では、入所施設の整備という地方でのこれまでの取り組みの延長線上の政策では対応できない。
生活習慣病予防政策、介護予防政策を徹底し、できる限り元気な国を作ることが第一である。歩きたくなる街づくり、高齢者が就労できる居場所づくりなどを含めた総合的な地域の予防政策を展開すべきである。一方、弱るのが怖くなるような社会でいいのか。弱っても、今まで住んできた地域で、笑顔でその人らしく皆とともに暮らし最期を迎えられるような社会を目指すべきである。思い切って財源を投入し、一人暮らしや夫婦だけの高齢者世帯に対して在宅(自宅でない在宅を含む)において24時間対応できる地域ケアシステムに転換する必要がある。あわせて高齢者向け住宅政策との連携が重要になる。医療についても、地域ケアシステムの一環としての在宅医療(訪問医療)システムが必要であり、それが病院の機能分化と連動する形で医療システム改革の橋頭保になると考える。
(社会保障と国民負担、価値観の転換)
少子高齢化は、我が国経済発展の結果である。それ故に、それへの対応策を今後の社会経済のシステムに構造的に組み込むことが必要である。このため、今後社会保障にかなりの財源を投入し、21世紀の日本の国の形を作っていかねばならない。一方、日本の国民負担率は、健気なぐらい低い水準にある。国民負担率の高いことで有名なスウェーデンは、経済の国際競争力も一人当たり国民所得も日本よりはるかに高い。日本は、コスト競争だけに頼らない国際競争力のある産業を育てつつ、国民負担率を引き上げ、少子化対策、高齢者や障害者の地域ケア政策などの分野に財源を投入し内需を喚起すれば国はよくなる。大切なことは価値観の転換である。我が国はこれまでの経験で、障害者や認知症の高齢者を入所施設で保護するのでなく地域ケアシステムの下で皆とともに暮せるような環境を作ると、これらの人々の自立が持続しやすく、一方で皆が助け合う心が芽生えてそこには温かい風が吹くことを見出してきた。このような国を作れば子どもも生まれやすくなるだろう。財政赤字問題以前の問題として、国民負担率を引き上げ、新しい価値観の下での国づくりに財源を投入するということを国民が納得して支持するという骨太な政治過程を持てるのかどうか。21世紀の日本を展望する差し迫った試金石であると考える。
辻 哲夫(元厚生労働省事務次官,東京大学高齢社会総合研究機構教授)
*原稿は大震災前に書かれたものです