▶ 2011年4月号 目次
“想定外”ではなかった東日本大震災
隈本邦彦
科学ジャーナリズムの世界に長く身を置いた私にとって、今回の東日本大震災の報道で強い違和感を感じるのが、メディア各社がM9.0の巨大地震とそれに伴う大津波を「想定外」と報じていることだ。
確かに地震後、多くの地震学者や原子力発電の専門家は「想定を上回る規模の災害」と発言している。しかしそれを無批判に伝えるだけでは、ジャーナリズムの名に値しないだろう。実は、今回各地を襲った大津波も、福島第一原発で進行しつつある惨状も、過去の災害の歴史や最新の科学データを謙虚に受け止めていれば、当然「想定」されてしかるべきものであったのだ。
いくつか根拠を示そう。
まず三陸地方の大津波。防潮堤を乗り越えて襲ってくる津波に対して「未曾有の」「想定外の」といった表現がめだった。しかしそれは若い記者さんたちが知らないだけなのだ。
今回の三陸の被災地の多くは、いまから115年前に同地方を襲った明治三陸津波(1896年)の浸水地域とかなり重なっている。そのときの犠牲者の数は2万2000人。当時の日本の人口はいまの3分の1くらいだったのだからその凄まじさがわかる。ところが、その後に起きた昭和三陸津波やチリ地震津波の浸水域は明治三陸津波に比べれば小さかったため、115年の間に、かつての浸水域内に次第に家が建ち新たな町並みが出来上がっていった。岩手県釜石市では警察署も消防署も明治三陸津波の浸水域のど真ん中に建っているほどである。“天災は忘れた頃にやってくる”と述べたとされる寺田寅彦は、昭和9年の随筆の中で「少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である」と書いている。つまり仮に一般市民が過去の災害を忘れて(あるいは知らずに)危険な場所に家を建てようとするのは仕方ないとしても、行政や専門家がそれを止めなければ悲惨な大災害が繰り返されることになると警告していたのだ。今回の津波をあっさり「想定外」といってしまっては、明治の大津波で亡くなった2万2000人の犠牲者に対してあまりに申し訳ない。
確かに貞観地震は、「津波来襲し 海水 城下に至り 溺死者1000」との古文書の記述や各地の伝承が残っているだけでその実態は謎に包まれていた。ところがここ20年ほどで急速に進歩した津波考古学の研究により、その正体は少なくともM8.4以上の超巨大地震であり、仙台平野から福島県にかけて、海岸線から数キロ内陸にまで津波が到達した(それだけ高く勢いのある津波だった)ことが明らかになってきていたのだ。産業技術総合研究所や東北大学などの研究者が、貞観地震から1100年余りを経て、近い将来同じような巨大津波発生の危険を具体的に指摘していた。改めて2009年6月の総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会の福島原発の安全性に関する議事録をみると「(設計上想定する地震として)なぜ貞観地震が考慮されていないのか」と委員である研究者が指摘している。しかしその後、効果的な大津波対策はとられなかった。
さらに2007年の新潟県中越沖地震の教訓も十分に生かされなかった。あの地震による柏崎刈羽原発の被害は、地震で原子炉そのものは壊れなくても、周辺設備を含めた巨大システムである原発は、その途中のどこがやられても機能不全に陥る可能性があることを我々に教えてくれていた。今回、ごく普通のディーゼル発電機(非常用発電機)の被害が、地震の揺れに耐えたはずの原子炉建屋における水蒸気爆発、放射能漏れへとつながっていったことは、過去の災害に学ばない人間への、再度の警告と受けとめるべきだろう。
とにかく「未曾有の」「想定外の」といった形容詞を連発する事実を見誤った報道はすぐにやめてほしい。次の大災害を予防するためには、そうした冷徹で思慮深いジャーナリストの眼が不可欠だと思うからだ。
隈本邦彦(元NHK記者 江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授、名古屋大学減災連携研究センター客員教授)