▶ 2011年5月号 目次
「原発」大震災、初期の報道
高原安
東日本大震災は、大地震・津波の大被害から、すっかり原発事故の災害の様相が強くなってしまった。震災の復興もまだ緒につかず、福島第一原発事故の対応は、やっと収束への「工程表」こそ公表されたものの、6ヶ月ないし9ヶ月という日程が果たして現実のものになるのか覚束ないまま、発生からすでに1ヶ月半。その間の各種の報道を日々見ながら、瞬く間に過去になっていく報道が、果たしてこの大震災を読者・視聴者に正しく報道できてきたのか、あるいは出来てこなかったのか、進行中のことではあるが、考えてみたい。
大震災発生の3月11日午後から、テレビはNHKをはじめ民放各社も、現地中継を中心とした特別報道番組へと切り替わった。中でも海岸沿いの津波被害の状況を伝えた。圧倒的な映像によって、被害の大きさ、自然の威力を印象付けた。新聞も紙幅を圧縮し、多くの新聞が最終面に置かれたテレビ欄を中面に入れて、被災地の凄まじさを大きな写真や記事で伝えた。
翌12日になると、東電福島第一原発の爆発の一報があり、これ以降、原発事故の速報が大きな課題になっていく。事故を伝える側は、政府では枝野官房長官が中心に、また東電、原子力安全・保安院が、それぞれ事故の状況、見通しについての会見を開いた。テレビは当初、それぞれの会見が開かれるごとに、会見のかなりの部分を中継し、記者会見のやりとりが延々と茶の間に流れた。当然のことながら、会見のやりとりでは、シーベルトであったりベクレルといった原子力関係の単位、専門的な数字や話が生で流れた。日頃はメディアがスクリーンして翻訳しているデータが、直接、視聴者に届いたことで逆に混乱を招きかねなくなった。解説する人間が必要であった。各局は原子力関連の大学教授ら識者をコメンテーターにそろえ、原発格納容器のフリップを掲げながら説明。テレビに釘付けになった人たちは、「にわか原子力発電通」になったものの、メディアを含め放射能情報の伝え方の難しさは尚、課題だといえよう。
つまり、枝野官房長官の会見でも、無用な混乱を招くまいと、ていねいに説明をする点で誤りではないものの「ただちに人体に影響を及ぼす数値ではない」という言い方が目立ち、受け手に「ただちに、でなければ、どれくらいなら影響が出るのか」という疑問を抱かせることになった。多くの受け手が「安全なのか、危険なのか」という二分法での結論を求めるなかで、条件のついた科学的な知見を伝えることの難しさだ。
大震災の報道のなかで、従来にはなかったメディアとしてのツイッターの役割は注目された。原発事故の一報からの会見の速報は、マスメディアの速度を遥かに追い越し、ニコニコ動画の会見中継とあわせ、威力を示した。また震災避難の人たちへの支援情報が、新聞メディアからツイッターを通じて発信されたことは、新聞の紙が届かない避難所が多かった時点から、有効に働いたといえよう。もちろん、報道以外のボランティアの支援呼びかけなどにも、ツイッターが役立ったことは特筆されるだろう。
大震災発生から直後の時期に、東電の計画停電とそれに伴う公共交通機関のストップという「事件」があった。突然の停電や電車が動かない事態に、インターネットやツイッターを使わない人たちが情報から置いてけぼりを食らう場面が見られた。どこの地域でいつ停電があるのか、東電の発表の仕方の悪さも手伝って、情報を入手する方法の少ないお年よりが頼ったのは、新聞による一覧表だった。危機管理の上からも、都市部でも「情報弱者」がいる、という存在を忘れてはなるまい。
(朝日新聞社OB 高原安 1968年卒)