▶ 2011年5月号 目次
決断の時 ~原子力発電のコスト~
陸井 叡
東日本大震災から一ヶ月余り過ぎた今年4月19日、海の向うアメリカのテキサス州で“異変”があった。東京電力と東芝がアメリカの電力大手NRGエナジーと組んで進めていた原発の増設計画を、事実上取り止める事が決まった。NRGは、東電の出資と東芝の技術協力とを受けて、テキサス州で140万キロワット級の原子炉2基を増設、アメリカでも最大級の原子力発電施設となる予定だった。だが、福島原発の事故を受けて、アメリカの原子力規制委員会(NRC)が原発の安全基準の見直しに動き、東電からの出資も難しくなった。NRCは、「これ以上、資金をつぎ込むことに説明がつかない」(デビット・クレインCEO)として、投資を取り止めると発表した。これまでの投資分3億3100万ドル(約270億円)は、損失処理する。
戦後の日本の復興の鍵の一つは、エネルギーをどうするかだった。日本には石油も天然ガスもなく石炭も貧弱だった。そうした中、原子力エネルギーの利用に踏み切ったアメリカを追って、日本も1955年原子力基本法を制定、1966年、今回震災に見舞われた福島第一原発の一号炉が運転を開始した。そして、原子力は1973年の石油危機、その後のCO2論議も経て、「比較的安く自然環境にも害の少ない」エネルギーとして供給を拡大。今日では、日本のエネルギーの30%をまかなうようになった。
だが、今回の大震災は、原子力エネルギーが果してコストがかからずクリーンなものなのだろうかという疑問を日本に、いや全世界につきつけることになった。
ところで、原発のコストとは何だろうか。一義的にはその建設費だが、実は、周辺地域には巨額の関連経費が支払われてきた。そして原発から遥かに遠い都市に向けて長大な送電設備も巨費を投じて建設されていった。
だが、今回の震災は、万一事故があれば、更に天文学的な損害賠償を求められ、しかも、事故の結果として廃炉となるとチェルノブイリ事故の後始末の様に、数十年にわたって膨大な額の対策費が必要となる。場合によっては電力料金の大幅な値上げや、国民の税負担の増大にも繋がりかねないという問題を浮上させた。
そして、こうした現実がつきつけられた今、これからも大型の地震と津波を予期せざるを得ない日本で、今後も新しい原発を建設すべきだという主張は、きわめて少数となった様に見受けられる。だが、もし現在の原子炉が事故なく稼動していったとしても、やがて廃炉の時を迎える。原発が今提供している日本のエネルギーの30%はどう手当てするのか、日本として決断の時が迫っている様に見える。
廃炉までの恐らく数十年の間に、自然エネルギーの利用や蓄電の技術の開発を進め、今僅か数%でしかないこれらの新エネルギーを拡大してゆく他に道はないのではないか。
これらの新エネルギーは、これまで国も電力会社も原子炉メーカーも、ほぼ一顧だにしなかった分野だが、日本の高い知見をつぎ込むことで、必ずブレークスルーが訪れるものと思う。
(ジャーナリスト 陸井 叡)
だが、今回の震災は、万一事故があれば、更に天文学的な損害賠償を求められ、しかも、事故の結果として廃炉となるとチェルノブイリ事故の後始末の様に、数十年にわたって膨大な額の対策費が必要となる。場合によっては電力料金の大幅な値上げや、国民の税負担の増大にも繋がりかねないという問題を浮上させた。
そして、こうした現実がつきつけられた今、これからも大型の地震と津波を予期せざるを得ない日本で、今後も新しい原発を建設すべきだという主張は、きわめて少数となった様に見受けられる。だが、もし現在の原子炉が事故なく稼動していったとしても、やがて廃炉の時を迎える。原発が今提供している日本のエネルギーの30%はどう手当てするのか、日本として決断の時が迫っている様に見える。
廃炉までの恐らく数十年の間に、自然エネルギーの利用や蓄電の技術の開発を進め、今僅か数%でしかないこれらの新エネルギーを拡大してゆく他に道はないのではないか。
これらの新エネルギーは、これまで国も電力会社も原子炉メーカーも、ほぼ一顧だにしなかった分野だが、日本の高い知見をつぎ込むことで、必ずブレークスルーが訪れるものと思う。
(ジャーナリスト 陸井 叡)