▶ 2011年6月号 目次
震災・原発事故で外国人はどう行動したか
中田浩子
3月11日に起きた東日本大震災と福島原発事故は、日本人だけでなく日本に住む外国人にも大きな動揺を与えた。外国人が読者の半数を占める新聞で働く自分にとって、当初多くの外国人が日本を離れるのを見ることは試練だった。だがその後残った人々のとった行動には目を見張るものがあった。この間、彼らが何を考え、どう行動をしたかをふりかえってみたい。
最初に、外国メディアは過去にない規模の震災に冷静な対応をした日本人を挙って称賛した。よく知られているのはニューヨークタイムズ紙のコラムニスト、ニコラス・クリストフが震災の日に掲載したコラムだ。東京支局長時代に阪神大震災を取材した経験に触れ、「今後数日、いや数週間の日本を見るといい。必ずや我々が学ぶことがあるはずだ」と述べた。さらに、日本人の我慢強さや社会が一体となって一つの目標に進んでいく力はこういった苦境の時にこそ輝く、と書いている。
しかし外国メディアの論調はその後一転した。福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故が報じられたからだ。恐怖心を過剰に煽る報道が増え、それとともに事実誤認を含む内容が目立つようになった。米国ニュース専門放送局のCNNは、「今や北日本の大部分は放射能で汚染されてしまっている」と報じ、英国タブロイド紙The Sunの一面には「すぐさま東京から逃げよ」との見出しが躍った。
こうした煽動的な母国語の報道が唯一の情報源だった場合、パニックに陥った人達もいたようだ。多くの外国人が大阪に一時避難したり、それぞれの国に帰ったりした。とくにそのピークは震災から一週間も経たないころ、各国大使館が自国民に退避勧告を出した時だったのではないだろうか。東京入国管理局には再入国許可を得るために毎日数千人の外国人が殺到し、成田空港には出国を待つ外国人の長蛇の列ができた。
個人だけではない。スウェーデンの衣料ブランドH&Mは関東の全店舗を臨時休業し本社を一時大阪に移転させた。その他にも、32カ国の在日外国大使館が一時閉鎖したり西日本に避難したりした。インターナショナル・スクールの中には校長が突然自国に帰ってしまい、いまだ再開の目途が立っていないところもある。
しかしこうした過剰ともいえる反応に対し違和感をもった欧米人もいたようだ。各国が退避勧告を出して少し経った頃から、「パニックは何も解決しない」「自分は東京に残る」というつぶやきをツイッターで見かけるようになった。
日本に住む外国人の中には、外国メディアの極端な誤報を問題視し、誤報を集めてウェブサイトを立ち上げた人もいた。このサイトは有名人の「Hall of Fame(殿堂)」をもじってジャーナリストの「Wall of Shame(恥の壁)」と名付けられ、どのメディアの報道のどの部分が間違っているかというコメントと該当する記事のリンクが一覧表になっている。
同時に、東京近辺に残った外国人の間では、つぶやくだけではなく被災地の支援をしようという機運が盛り上がりを見せた。
我孫子に住むある英国人ブロガ―は東北地方への義援金を集めるために震災の体験談やエッセー等の書き手をツイッターで募り、``Quakebook(震災の本)’’というタイトルの本にまとめて売上金をすべて被災地に寄付しようとしている。実際このプロジェクトには多くの外国人や日本人が賛同し、この本はアマゾンで電子書籍として現在も売られている。
外国メディアのコラムや日本在住外国人のブログでは放射能漏れが報じられてからも、何故自分が日本に残るのかという心情を吐露した文章も見かけるようになった。
3月18日のワシントンポスト紙に元東京特派員のポール・ブルスタインが「何故自分は日本から逃げないのか」というタイトルで寄稿をしている。その中で彼は、出国のために航空券を買い占める外資系企業の幹部や日本からの輸入食材の放射能検査をするアジア諸国や安定ヨウ素剤を飲む米国在住の人々に対し、そうした行き過ぎた放射能への反応は日本の苦難を深め長引かせるだけだと警告している。
こうして日本に残り被災地の支援のために行動している人達のことを思うと、何としてでもこの災害から立ち直り国を復興させなければいけないと思う。
中田浩子 (ジャパンタイムズ記者 法学部政治学科90年卒)