▶ 2011年7月号 目次
科学だけでは解決しない原発震災~トランスサイエンス問題
隈本邦彦
地震や津波によって深刻な原発事故が起きる危険性については、少数の科学者たちが指摘していた。「原発震災」の警告を1990年代から発してきた神戸大学名誉教授の石橋克彦氏もその一人。石橋氏は東大地震研の助手時代に、「東海地震説」を世の中に公表した人物である。当時のメディアが大々的に取り上げ、東海地震予知観測網の整備、大規模地震対策特別措置法の制定へと進んでいった歴史を知る方も多いだろう。
しかし原発問題に関しては、メディアは石橋氏の発言をあまり大きく取り上げてこなかった。「発電時にCO2を出さない原発」という電力会社のPRが幅を利かす一方で、石橋氏ら少数派の学者の主張は「こんな考え方もある」程度の扱いがふつうだった。
私は、日本の科学ジャーナリズムの中核をになう大手新聞社や放送局の科学記者たちが、ある種の権威主義に陥っていたのではないかと危惧する。高名な原子力研究者たちの言説に近寄りすぎ、石橋氏らの警告を軽視することはなかっただろうか?私自身の反省も込めていうが、「特定の色がついた学者のコメントを使うのは危ない」とか「きわどい話は週刊誌に任せればよい」といった姿勢がなかっただろうか。
原発の安全性をめぐる問題は「トランスサイエンス問題」であるとされる。トランスサイエンスとは、アメリカの有名な物理学者A・ワインバーグ博士が1972年に提唱した概念。博士は、世の中には純粋に科学だけで解決できる問題と、一見科学的だが科学だけでは解決できない問題があり、現代ではむしろ後者の方が多くなっていると主張、これをトランスサイエンス問題と名付けた。「トランス~」という接頭語には、「~を超える」という意味があり、「科学に問うことはできるが、科学によってのみでは答えることのできない問題」と定義される。
博士は次のような例を挙げる。原発の安全装置がすべて同時に故障すれば深刻な事態になることについて専門家の意見は一致する。サイエンス問題である。ところがそんなことがあり得るのか?という問いになると、それはトランスサイエンス問題となる。確率がきわめて低いことは「科学によってわかる」が、ではそんな低い確率の危険に備えて、もうひとつ安全装置を追加すべきかどうかについては専門家の意見は分かれる。そこは「科学ではわからない」からだ。
ワインバーグ博士は、トランスサイエンス問題に対して科学者が取るべき態度として「どこまでが科学によって解明でき、どこからは解明できていないのか、その境界を明確にすることが科学者の第一の使命である」としている。つまり「わからないことは、正直にわからないと言う」ことである。「そんな想定はしなくていいと安易に言ってしまわないこと」と言い換えてもいい。
では日本の原子力研究者たちは、そうした第一の使命を十分果たしてきただろうか、そして日本の科学ジャーナリズムは、彼らにその使命を果たすよう強く促してきただろうか。
実は2007年の新潟県中越沖地震の後、原子力研究者からは、あれだけ揺れたのに柏崎刈羽原発は安全に停止したと、むしろ胸を張るような意見が聞かれた。原発敷地内で起きた火災も、微量の放射能漏れも、IAEAの評価基準でいえば一番下の「レベル0-」だったのに、報道は大げさだという批判も目立った。こうした姿勢には「科学であらかじめわかること」の限界を考え、事故から教訓を真摯に学ぼうという謙虚さが欠けていたと思う。
しかし驚いたことにある大手新聞社の科学部記者は、研究者たちと全く同じ論旨でこの事故をめぐるマスコミの騒ぎ過ぎを指摘する論文を原子力学会誌に寄せていた。福島第一原発の事故が起きたいま、原発の安全性という典型的なトランスサイエンス問題を、日本の科学ジャーナリズムがどう報道してきたのか、改めて厳しく自己検証をする必要があると、私は思う。
隈本邦彦(元NHK記者 江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授、名古屋大学減災連携研究センター客員教授)