▶ 2011年9月号 目次
国を挙げて真のリーダー育てたい
木村良一
あの夜、多くの人が自宅までの長い道のりを歩いた。地下鉄やJRは止まり、幹線道路は大渋滞し、歩道はどこも帰宅する人々であふれかえっていた。
そう、東日本大震災が起きた今年3月11日の夜のことである。震源地から遠く離れた東京でも大きな余震が続いていた。テレビには大津波が東北の町や村を次々と飲み込んでいく映像が映し出されていた。すべての電源を失った福島第1原発は原子炉の冷却ができなくなり、まさに非常事態が起きようとしていた。
私も歩いて帰った1人だったが、皇居前の内堀通りを歩きながら「余震はいつまで続くのか」「チェルノブイリ原発の事故のように大量の放射性物質が漏れ出したらどうすればいいのだろうか」と考え、頭の中は不安でいっぱいになっていた。あのときほど心細い思いをしたことはない。
そんな思いは終戦直後の焼け野原の体験に比べれば大したことはないかもしれないが、昭和31年生まれの私には衝撃的だった。
確かに日本は敗戦という大きな不安の中からはい上がり、経済成長を成し遂げた。そこには国の在り方を深く考え、国民の利益と国益を追求しようとする政治家の姿があった。しかし安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人…と最近の首相の顔を1人ずつ思い浮かべてみても、みな一国のリーダーにふさわしい政治家とはいえない。
たとえば菅さん。彼は大震災の翌日(3月12日)の早朝、ヘリで福島第1原発を視察した。その日の午後に水素爆発が起きて放射性物質が流出したが、東電が視察中の首相に害が及ばないようにベント(排気)の開始を遅らせた結果、水素爆発が起きてしまったとの見方がある。しかもその3日後には東電の本店に乗り込んで東電幹部を怒鳴りつけている。この視察や東電乗り込みが食中毒騒動でカイワレ大根を食べたようなパフォーマンスだとしたら、国のリーダーとしては失格である。
その後も5月6日の中部電力浜岡原発の運転停止要請、7月11日の原発のストレステスト(耐性検査)導入…と管さんの暴走は続き、極め付きは7月13日の脱原発宣言にいたる。これは閣僚や与党からも批判を浴び、すぐに「個人的な考え」と修正している。無責任であり、一国のリーダーの取るべき行動ではない。
菅さんの暴走、迷走、無責任、そして民主党の誤った政治主導が、日本の社会を混乱させてきたことは間違いないだろう。
ところでフリージャーナリストの櫻井よしこさんはその著書『宰相の資格』のまえがきでこう書いている。
〈明治帝国憲法の中心的起草者、伊藤博文をはじめ、五箇条のご誓文を起草した木戸孝允、教育勅語を発布した山縣有朋をはじめとする多くの人々がその偉業を成し遂げた。彼らは、日本が列強に伍していかなければならないとき、すべての力を発揮する前提に、日本人が全き善き日本人であることと同時に、世界を広く俯瞰することの重要性を認識していた。皆が皆、総理大臣になったわけではないが、紛れもなく、あの時代の指導者には宰相の資質が備わっていた〉
敗戦のどん底から立ち上がったとき以上に、幕末から明治にかけて近代国家を築き上げたときには確かに立派な宰相たちがいた。時代の要求に応えるかのようにそうした国のリーダーが何人も現れた。苦難の時代が、彼らを生んだのだろう。
いまはどうか。少子高齢化で社会構造が変わり、社会保障が大きく揺らいでいる。景気の低迷が長く続き、産業全体が芳しくない。中国、ロシア、北朝鮮などとの外交問題も大きな節目を迎えている。そこに東日本大震災が起き、大津波と原発事故が日本を急襲した。いまも間違いなく苦難の時代である。不安な時代だ。この不安をひとつずつ解消できるのが、一国のリーダーであり、真の宰相だろう。本来ならそれだけの力量と器を有し、仁王立ちになって国民を守ろうとするリーダーが現れてもおかしくないはずである。
だがいまはそうしたリーダーは存在しない。戦後の日本は真のリーダーを生むための教育を行ってこなかったからだろう。いまからでも遅くはない。器と力量を持った人物を本物のリーダーに育て上げる帝王学のような教育を国を挙げて実行していきたい。
(産経新聞論説委員 木村良一)