▶ 2011年10月号 目次
福島第一原発事故報道に思う
隈本 邦彦
マスメディアの現場は基本的に文科系職場である。働いている人の多くは学生時代に元素記号や化学式が大嫌いだったタイプだ。そんな中で福島第一原発の事故が起きた。
小さな原子力事故やトラブルなら、専門知識がある少数の記者・ディレクターが取材するのであまり大きな問題にはならない。しかし今回はチェルノブイリ事故並みの大事故。当然各社とも総力戦で取材に臨んだ。そこでふだん科学嫌いの取材者たちも大量に動員され、ベクレルもセシウムも初めて聞いたという人たちによる、いわば「集団素人取材」の嵐が吹き荒れることになった。
事故から1カ月ほどたった頃、東京電力が敷地内のタンクにあった低レベル汚染水約1万トン余を海に放出した。その時の各社の報道は「突然の放出」「周辺国への通報が遅れた」と大騒ぎだった。これを受けて漁民も抗議、次のような記事もあった。
4月6日朝日新聞夕刊「全漁連が抗議、東電会長陳謝」
全国漁業協同組合連合会(全漁連)の服部郁弘会長が6日午前、東京電力本店を訪れ、勝俣恒久会長に抗議文を手渡した。服部会長は「全国の漁業者が強い憤りを感じている」と抗議。勝俣会長は「大変なご迷惑をかけて心からおわび申し上げます」と陳謝した。(中略)全漁連関係者は「海はごみ捨て場じゃない」と怒った。
この時放出された放射能の総量は約1500億ベクレルと推定されている。
しかしこの汚染水放出とちょうど同じ頃、2号機の取水口付近では、コンクリートの割れ目から高濃度汚染水が漏れ続けていた。止水剤を注入するなどしてようやく4日後に漏れが止まった。漏れた水の量はトータルで約520トンとわずかだったが、その放射能の強さは尋常ではなかった。なにしろ2号機は本格的に原子炉格納容器が破損していたため、メルトダウンした核燃料に直接ふれた冷却水がそこに漏れてきていたのだ。4日間で放出された放射能の総量は約4700兆ベクレル。これを1秒あたりに換算すると140億ベクレルとなる。
つまり、こういうことである。「東電が汚染水放出を突然発表」とメディア各社が騒ぎ、それを見て周辺諸国や漁民が厳重抗議したが、実はそうやって放出された放射能の総量は、ちょうど同じ頃、隣でダダ漏れになっていた高濃度汚染水のわずか10秒から11秒分だったということである。こっちには抗議しなくていいのか、と私はニュースを見ながら思わずつぶやいた。
もちろん意図的に放出するのと、漏れてしまったのは違う、という意見もあるだろう。しかし放射能というものをよく知り、ベクレルという単位の特徴(シーベルトやグレイに対して非常に大きな数字になりやすい)をよく知っているジャーナリストであれば、周辺の環境にとってどちらがより深刻でより重要であるか「火を見るよりもあきらか」だろう。
もう一つ「集団素人取材」の問題点を指摘しておきたい。
おそらく多くの読者・視聴者は、あの1号機の突然の水素爆発と、それに続く3号機の大爆発でキノコ雲が上空にできた時が、その時であると考えていると思う。
しかし実態はまったく違う。東京電力が原発の正門で計測した空間放射線量などの記録(図1)をみると、1号機と3号機の爆発があった12日や14日にはほとんど放射線量に変化がなく、翌15日に最大で1時間あたり12ミリシーベルトという異常に大きなピークがでている。大量の放射能が放出されたのは間違いなく15日から16日にかけてなのである。15日は2号機の原子炉格納容器が異音とともに破損したとされる日だ。つまり原子炉建屋がいまも立派に建っているあの2号機が、今回の事故の大規模な放射能汚染の元凶なのである。 確かに注意深く記事を選別して読むとそのような記述もないことはないが、大量に報道される毎日の記事やニュースを見ていると、私たちはつい誤解させられていなかっただろうか?いつも使われる事故の映像は、派手な水素爆発の場面であり、がれきと化した1号機3号機の建屋だだからだ。こんな報道では、原発事故のほんとうの怖さ=つまり格納容器の破損によって炉心の放射能が外に漏れ出ること=が、うまく読者・視聴者に伝わっていないのではないかと思う。それどころかいま原発事故を取材している多くの記者・ディレクターでさえ、その事実に気づいていないかもしれない。
原発はあまりにも高度で複雑で巨大なシステム産業であり、誰一人として発電所のすべてのことが分かっている人はいない、と言われる。さらにそれがすべて異常な事態となっている事故を取材するのが、素人で勉強不足の取材者であっていいわけはない。メディア各社はぜひこのことを反省し、今後に生かしてほしい。
図1東京電力が発表した福島第一原発正門の放射線量
隈本邦彦(元NHK記者 江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授、名古屋大学減災連携研究センター客員教授)