▶ 2011年11月号 目次
女川町、3階建て仮設建設現場から見る日本(上)
中島みゆき
宮城県女川町に建設中の坂茂さん設計による多層仮設住宅が間もなく、完成する。3月11日の東日本大震災で5階建て建物をも飲み込む津波に市街地の大半を流され、仮設住宅を建てる平地が少ない女川町が、苦肉の策として選択した2~3階建て集合住宅だ。3階建て仮設住宅は国内でも例がなく、航海用コンテナを積み上げて美術館を作った経験のある坂さんに町が依頼した。
建設地は町の高台にある総合運動公園内の野球場。スコアボードや観客スタンドが残る敷地に9棟、189戸を建設する。住宅用の仕様に作られたコンテナを市松状に積み上げ遮音性や耐震性を高めるほか、木製棚を備え付けるなど居住性を高めるための補助的な内装作業をボランティアが担当している。
私がこのプロジェクトに興味を持つきっかけとなったのは今年4月。坂さんが避難所に紙管を使った間仕切りシステムを設置しているという内容の記事をツイッターで発信したところ、200件を超すリツイートがあった。被災した方々の居住環境を少しでもよくしたいという坂さんの活動が多くの共感を呼んでいることを改めて知った。そして8月にこの仮設住宅建設のボランティア募集があった際、すぐに登録し、現地へ向かった。
プロジェクト概要を見た時、前例のない3階建ての仮設住宅が日本に建つ。そのことを通して被災地が直面する問題や、日本の姿が見えてくるのではないかと直観した。それを見るには、ボランティアという立場で中長期的にこのプロジェクトや女川という町に寄り添うのがよいのではないかと考えた。9月初旬からこれまでに現地に4回滞在している。
★ボランティアによる居住性向上
現場には大学で建築やデザイン、都市計画を学ぶ学生らが平均して20人くらい、木製棚の組み立てや塗装、取り付けなどをしている。就職活動を中断して被災地の人の声を聞きながら復興に必要な建築を考えている大学院生や、実家を津波で失いながら参加している学生もいる。
作業は1日8時間ほど。互いに教え合い進めていく。休憩時間に避難所で暮らす人に被災体験を聴いたり、入居予定者が現場を見にくることもある。「ストーブは使えますか」「仏壇は置けますか」といった質問に、被災者の直面する現実の厳しさを垣間見る瞬間もあった。
「皆さんが作る棚が被災した方の暮らしにどんな意味を持つか、想像しながら作業してください」。学生たちに坂さんは語りかけた。十分な収納のない仮設では、家電や衣類が雑然と散らかってしまう。「同じ予算でも少しの工夫とボランティアの熱意があれば居住性を格段に向上させられる。この仮設を新たなスタンダードにしたい」と意気込む。
★前例主義の壁
「居住性」という視点から仮設住宅を見ると、阪神大震災の教訓が生かされていない事例が多く見受けられる。釜石市内のある仮設では、5月に入居したものの寒さと結露がひどく、銀マットを買って壁や柱のつなぎ目に貼っていた。戸境壁も薄く、ペットの鳴き声が心配で家から出られないという人もあった。石巻市のある仮設では、雨漏りと収納の少なさに悩む人が多かった。
なぜこうなっているのか。被災地で活動する何人かの建築家に聞くと、画一的な行政への不満が強く聞かれた。
仮設住宅の大多数がプレハブ建設協会に発注され、加盟するプレハブリース会社や住宅メーカーに割り振られる。岩手県や福島県の場合、自治体裁量枠を設け地元工務店などに発注した事例も見られるが、宮城県の場合、「自治体裁量を設けるなら全量供給に県は責任を持てないと言われた。組み立て式プレハブはもともと物置。そこに人を入れたらいろいろ問題が出てくるでしょう」と、ある石巻市議は言う。坂さんの仮設住宅も3階建てという前例のない案件であったため、許認可待ちで3週間着工が遅れ、寒い10月になっても避難所で仮設の完成を待つ人200人以上出る結果となっている。
中島みゆき(法学部政治学科89年卒、毎日新聞記者)
*(下)は次号
=写真は、日没後も続く建設作業。仮設住宅中心部には市場などコミュニティー施設が建設される=女川町の野球場で 10月24日撮影