▶ 2011年12月号 目次
女川町、3階建て仮設建設現場から見る日本(下)
中島みゆき
坂茂さん設計による宮城県女川町の3階建て仮設住宅(189戸)が完成、11月6日に入居の日を迎えた。朝7時から町役場で鍵の引き渡しが始まり、避難所や親戚宅などに身を寄せていた入居予定者が待ちかねたように荷物を運び入れた。前日までは「食事が支給される8日まで避難所にいる」と話していた人もあったが、約90人が生活していた総合体育館では午後までにほとんどの人が引っ越しを済ませた。フロアには8カ月近く被災者のプライバシーを守った「間仕切り」が解体され、支柱の紙管が無造作に積み重ねられていた。
「皆さんの笑顔がいいですね」。坂さんは6号棟階段わきで入居の様子を見守りながら、スタッフやボランティアに細かな指示を出していた。ボランティアは各戸をまわり、ひざが悪い人や洋風の生活を好む人のために木製ちゃぶ台に紙管の脚をつけたり、高齢者の家具配置や梱包材の片付けなどを手伝った。引っ越しが一段落した家には灯りが点り、待望の台所で昼食を用意する匂いが流れて始めた。手伝いの人と鍋を囲む家からは楽しげな話し声が聞こえてきた。女川にはこの週から寒波が到来。まさにギリギリのタイミングでの入居だった。
★新たなスタンダードに
「前例がないため許可を取るのが大変だったが、世界に例のない素晴らしい仮設住宅を造ることができた。この仮設を女川だけでなく、日本全国のため、新たなスタンダードにしたい」。11月12日、敷地内に坂本龍一さんの寄付によってできたマーケットのオープニングセレモニーで坂さんは訴えた。そして「このプロジェクトが実現したのは町長の英断があったから」と、計画を採用しこの日任期満了を迎えた安住宣孝町長を称えた。
世界の被災地で活動してきた坂さんだが、東北の被災地では思わぬ苦戦をしてきた。震災直後、避難所に紙管を使った間仕切りを設置しようとした際「被災者を管理できない」と自治体に設置を断られることもあった。3階建て仮設住宅も行政手続きの遅れが工期にも大きな影響を与えた。「阪神大震災以来、プライバシーのない避難所や住み心地の悪い仮設住宅が問題になってきたが、政府は被災者の忍耐強さに甘えた無策を続けている。人権という考えがまるで欠如している。突破口を開きたい」。坂さんは幾度となく口にした。
こうした坂さんの思いを支えたのは、まず安住町長の決断だった。そして、フランシス・コッポラ監督はじめ坂さんを支持する多くの人の寄付が棚の取り付け費用やコミュニティー施設の建設費用となった。敷地内にはマーケットに続き画家・千住博さんの寄付によるアトリエが間もなく完成する。音楽プロデューサー・秋元康さんの寄付による銭湯も計画されている。
国の災害対策が画一的で被災者の実情に合った対応ができずにいる中、自治体首長や地域リーダー、建築家らの活動がネットで伝わり、寄付や支援が集まるケースが女川町以外でも広がっている。「林業日本一」を合言葉に町興し施策を進めている岩手県住田町は震災直後、町産木材を使った独自仕様の仮設住宅110棟を町内に建設し隣接市から被災者を迎えた。被災市町村でないため県から建設費用の拠出を断られると、坂本龍一さんが主宰するNPOが寄付を募り建設を支えた。石巻市北端の北上町でも、工学院大学が地元工務店などと国産木材による恒久住宅を計画。住生活グループなどの寄付により、年内に11棟が完成する。政府の交付金とは別に、プロジェクトに賛同した人の善意で被災者の生活環境向上やコミュニティーづくりができることも興味深い。
「日本と欧州の高速鉄道の違いがわかる?」。坂さんが学生に聞いたことがある。新幹線とフランスのTGVの絵を描き「先頭車両が列車を引っ張るのがヨーロッパ、各車両に動力があるのが日本。社会のあり方も同じこと」。
戦後60年、税金という形で国が公的なお金を掌握し、霞が関から地方へと予算を配分してきた中央集権型の行政システムが機能不全を起こしていることが3・11を機に露呈した。石巻や気仙沼など、合併によって大きくなった市町村では、旧町村部地域の実情に合った被災者支援や復興策が打ち出せないでいる。地域の実情に即した多極分散型の行政システムの構築が急務となっている。インターネットで多くの人が瞬時に情報共有できるようになった今、個人が「寄付」という形で特徴ある地域の取り組みを支援することが容易にできるよう、税制を含めた大規模な変革が必要なのではないだろうか。
中島みゆき(法学部政治学科89年卒、毎日新聞記者)
=写真は
入居者のため、ちゃぶ台に紙管の脚をつけるボランティア=11月6日(上)
マーケットのオープニングセレモニーでは住民が獅子舞を披露したりボランティアがサンマを焼くなどしてにぎわった=11月12日(下)