▶ 2011年12月号 目次

無職の行列 ~たかが投書欄、されど投書欄~

荻野 祥三


   新聞の投書欄を見ていると気が滅入ることがある。投書の内容ではなく投稿者の肩書だ。圧倒的に無職が多い。掲載される投書の数は、各紙それぞれ一日に6本から8本程度だが、日によっては半分以上が、「無職の〇〇さん」の文章となる。投稿者の年齢も高い。「それだけ読者が高齢化しているのだから」と言えばそれまでだが、何だが新聞の将来像を見るようでもあり、やるせない。無職という肩書を安易に使うことにも疑問がある。例えば、73歳無職という表記。70歳を越えればたいていの人は無職である。わざわざ書くことにどれだけの意味があるのだろうか。同じ73歳でも女性だと主婦。この違いは何なのか。
1960年、1970年代の縮刷版の投書欄をのぞくと、実にバラエティーに富んでいた。30代会社員、40代公務員。学生も多い。主婦には、子育てや家族の中で家事を担う人との役割がうかがえた。無職はそう多くはない。日本社会は今と比べてはるかに「若かった」のだ。その時代であれば、無職と言う表記には、「この人は、今は仕事をしていない」ことを示す意味があった。
いつから「無職の〇〇さんが中心」になったのだろう。各紙の投書欄の表記を経年的に調べ、データをとればちょっとした研究になるし、既にあるのかもしれないが、先を急ぐ。高齢化社会と若い読者の減少で、無職の表記が投書欄に並んだ頃に、各社の担当者はもっと考えるべきだった。しかし、先例が踏襲された。 投稿者は、新聞社が示した応募規定に従い、住所、氏名、年齢、職業と書く。その時、疑問を感じる投稿者がいるかもしれないが、結局は何歳であろうと、男性で職業がなければ無職。配偶者がいる女性ならば主婦と表記することになる。最初にも書いたが、70歳、80歳で仕事をしていないのは当たり前である。(例外もある。「36歳 無職」など時々見かける若い失業者。無職の二文字にリアリティーがあり必要な表記だが)。主婦と言っても、老夫婦の二人暮らしであれば、一般的な主婦のイメージとは異なった生活だ。
新聞読者の多数を占める高齢者。なかでもわざわざ投稿してくれる読者を、そう簡単にくくってしまっていいものか。無職の文字が並ぶ欄に若い読者は投稿したいと思うだろうか。
時代に合わなくなった表記をどうしたらいか。その前に、まず投書欄が持つ可能性である。戦後社会の中で投書欄が果たした役割には、原水爆禁止の草の根運動のきっかけづくりをはじめ、大きなものがあった。現在では、新聞が社会に果たす役割も変わった。新聞の論調が「世論の代表」という時代ではない。多くの疑問符がつきながらも、「ネット世論」は活況を呈している。「世間」に対して自分の意見を発表したい。そう考える人はブログによって簡単に情報発信者になれる。