▶ 2012年1月号 目次
「大阪都構想」と東京23区
東京・中央区長 矢田美英
1 地方主権論議に一石を投じた「大阪都構想」
「地域のことは地域で考える」「住民に身近な行政は、地方自治体が第一に担うべき」 。地方分権・地域主権を巡るこうした議論がこのところ活発化しています。とくに今年は、5月と8月の二次にわたっていわゆる地域主権関連一括法が制定されるなど、そうした議論が具体的に法制化され、地方分権・地域主権の一定の前進がみられました。
こうした中、さる11月27日に行われた大阪府知事・市長ダブル選挙の最大の争点となったものが「大阪都構想」です。この構想については、さまざまに報道されておりますが、あえて一言で要約するならば、「大阪市、堺市などの大都市区域を再編し、広域行政を一元化する大阪都と、基礎自治体である20程度の特別区を設ける」というものです。そして、区への権限移譲を進めることにより府と市の二重行政を解消し、住民に身近なことは区で主体的に決めることができるようにしようという趣旨であり、大都市における地方分権・地域主権の具体化に向けた一つの姿と捉えることができます。なお、この構想では、これに加えて、首都機能の一部を補完する考えもあるようです。
「大阪都」と「大阪特別区」の関係は、東京都と23区の関係をモデルとしている面がある一方で、「大阪特別区」については23区よりも少し広い権限を持つ「中核市並み」の自治体とする案も示されており、「大阪特別区」と東京23区とは似て非なるものです。また、「大阪都構想」はそもそも府知事から提起された案であり、戦後に区民を主体とした運動の積み重ねを経て今日に至った現在の東京23区とはその成り立ちが大きく異なっています。
2 東京23区における自治権拡充運動
東京23区は、さまざまな経緯を経て、平成12年には地方自治法に「基礎的な地方公共団体」として位置付けられました。ここに至るまでの道のりは、まさに住民に身近な基礎自治体の側からの自治権拡充運動の歴史といえます。
昭和22年、東京都に特別区(22区:翌年に板橋と練馬が分かれて23区)が設置された当時は、現在のとおり区長と区議会議員は選挙で選ばれるなど、都から独立した基礎自治体に位置付けられていました。ところが、昭和27年の地方自治法改正により、区長公選制は廃止され、特別区の自治権は大幅に制限されることとなってしまったのです。ここから長きにわたる復権運動が始まります。
こうしてようやくたどり着いた現在の都区制度ですが、これについても自治制度の完全な理想型とはいえず、いくつもの課題を抱えています。例えば、都市計画決定に関する事務など、本来は基礎自治体が処理する事務の一部を、「大都市地域における一体性及び統一性の確保」ということから、依然として東京都が行っているように、住民に身近な事務は基礎自治体が行うという原則どおりになっていない現実があります。財源についても、都区財政調整制度における現在の都区の配分率が適切であるとは考えていません。 こうした課題の解決に向けては、東京都と23区が平成19年に共同で「都区のあり方検討委員会」を設け、現在、検討を重ねています。
3 「大阪都構想」の今後に注目する
このように、東京には東京の、大阪には大阪の課題があるものと思いますが、それぞれの地域の実情に応じながら効果的な役割分担と財源調整が行われなければなりません。「大阪都構想」については、今後、その詳細が明らかになってくるものと思いますが、地方分権、地方主権をさらに推進する大きな契機のひとつとして大いに注目しております。先に述べた東京23区における課題や取り組みなども是非参考にしながら、行政側の論理に偏らず、府民・市民を主体とした幅広い機運、ムーブメントを巻き起こし、主人公である住民のためになる新たな大都市制度が実現することを期待しています。
矢田 美英(中央区長)