▶ 2012年2月号 目次

東アジア外交の年@2012年

慶應義塾大学法学部教授 山本信人


 2012年は東・東南アジア諸国にとって新しい外交の幕開けである。これからは関連諸国にとって共通の地域政策を模索する必要性が高くなるからである。
 2000年代以降、米中関係が広義の東アジア地域秩序の主要な構成要素となってきた。これは従来の秩序に転換を迫る。第二次世界大戦後のアジア太平洋秩序は米国が主導で構築した二国間軍事同盟を基本にした、サンフランシスコ・システムと呼ばれる安全保障秩序である。
しかし、ポスト冷戦期、アジア太平洋地域の安全保障秩序は重層的な構造へと変化した。二国間・多国間の安全保障協力が多岐にわたり、同時に問題領域別の機能的な協力枠組みや全域的な地域制度も登場してきた。機能協力には六者協議、災害救援協力、越境犯罪関連、保健衛生関連、対テロ協力、国際法・規制枠組みの強化などがある。いわゆる非伝統的安全保障の領域での協力関係の深化・拡大は着実に進んでいる。また全域的な地域制度には、APEC、ARF、ADMM-Plus、ASEAN+3、東アジア首脳会議(EAS)、上海条約機構をあげることができる。
これに拍車をかけるごとくオバマ政権下の米国は、アジア太平洋シフトの外交政策を採用した。象徴的なのは、クリントン国務長官の「米国の太平洋世紀」と題する論文である(『フォーリン・アフェアーズ』2011年11月号)。そこで彼女は、アジア太平洋における「より成熟した安全保障と経済のアーキテクチャー」の構築が米国の外交課題である、と議論する。
そうしたアーキテクチャーの構築に際して、米国にとって厄介なのは中国の存在である。もはや中国はGDPレベルで世界第二の経済大国になった。着実に進む軍事力の近代化は地域国際関係の潜在的な脅威ともなる。東シナ海や南シナ海の例を挙げるまでもなく、領土や領海をめぐる中国の自己主張は近隣諸国との紛争の種である。しかも中国は自己主張の場を二国間対話に求め、国際ルールに則る紛争解決を頑なに拒否するという姿勢をみせている。とはいえ、中国といえども、欧米パラダイムが構成する国際関係のなかにある。自己主張する中国は抗しがたい欧米パラダイムへの反発といえる。しかも 経済格差や地域格差、2012年に実現する第5世代指導者体制への移行などの国内問題の存在によって、中国の行方は不透明であるといえる。
米中のせめぎ合いは2012年以降も継続する。その予兆は、2011年11月にインドネシアで開催されたEASであった。米国とロシアが正式参加することで、EASは変質した。同年半ばより、南シナ海問題が東・東南アジア地域での主要な領土・領海問題となっていた。