▶ 2012年4月号 目次
目が離せない橋下市長の文化行政
七尾 隆太(1966年卒、元朝日新聞編集委員)
大阪から、綱町三田会総会に出席するため上京したついでに上野公園の国立科学博物館に立ち寄り、「マチュピチュ『発見100年』 インカ帝国展」をのぞいた。どしゃぶりにもかかわらず長い列ができていた。近くの動物園のジャイアントパンダも子どもたちに愛想を振りまいていた(ように見えた)。上野の山には美術館、音楽ホール、図書館などの文化装置も集積しており、首都の文化の厚みを実感した。
ひるがえって第2の都市、大阪。大阪維新の会を率いる橋下徹大阪市長の文化切り捨てに多くの文化人、アーティストらが危機感を募らせている。橋下市長が、財団法人・文楽協会、大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)など文化団体への補助金の大幅見直しをなどを表明しているからだ。
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文楽は大阪を代表する伝統芸能の人形浄瑠璃。江戸時代、演奏家の竹本義太夫と作者の近松門左衛門が大成させた。『曾根崎心中』『心中天の網島』『菅原伝授手習鑑』などの作品は誰でも知っている。ユネスコの世界無形遺産にも登録された。日本橋には専用劇場の国立文楽劇場があり、本公演のほか、高校生を主な対象とした観賞教室などが開かれている(大阪ブランドコミッティ編『大阪ブランド資源報告書』)。
人形浄瑠璃文楽座のマネジメントをしている文楽協会への市のこれまでの補助金は年5200万円。これがゼロになれば、協会の運営はピンチになるという。驚いた人間国宝の竹本住大夫さんらは、在阪メディアに対して「一度失われた文化・伝統は、もはや回復不可能。特に大阪で生まれ育った文楽の灯は決して消してはいけない」「行政改革問題と文化問題をないまぜに論議してはいけない」などと訴える文書を送った(1月17日付産経)。日本の伝統芸能にも詳しい日本文学研究者のドナルド・キーンさん(89)も、毎日新聞のインタビューに「大阪の芸術は何よりも文楽。援助を打ちきって文楽協会がなくなれば、大阪で文楽ができなくなるんじゃないかと心配しています」と答えた(3月2日付夕刊)。橋下氏は知事時代、「文楽を見たが2度目は行かない」といった発言を残している。「文楽は守るが協会は支援しない」とも言っているが、具体策はまだ示されていない。
大フィルは指揮者、朝比奈隆氏が1947年に創設し、2001年に亡くなるまで55年間、指揮棒を振った大阪を代表するオーケストラで、ファンは多い。市から年1億1000万円の補助金を受けて切り盛りしてきたが、打ち切られたら死活問題という。
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また、児童文学の研究拠点、国際児童文学館は文化人らの猛反対にもかかわらず、財政再建プログラムの一環として、万博記念公園(大阪・吹田)から10年春に、府立中央図書館内に移転させられた。創設は1984年。資料約70万点を収蔵、フランス文学の第一人者、桑原武夫氏が初代理事長を務めた。移転後、交通の便がよくなったこともあって入館者数は増えたものの寄贈はめっきり減り、設立時の理想からは遠くなってしまったという(去年11月18日付朝日夕刊)。
こうした措置はほんの一例だ。橋下市長は知事時代、「文化は行政が育てるものではない」「芸術性の高さを求める楽団を税金で抱える必要はない」などとも公言している(いずれも去年12月3日付朝日夕刊)。
『上方芸能』発行人、木津川計氏は「橋下氏は芸術文化に対する理解を全く持ち合わせておらず、知事時代には文化団体の助成をどんどんカットした。(中略)都市の格は上質な文化があるかどうかで決まる」と苦言を呈している(去年11月29日毎日新聞)。まったく同感である。
橋下氏に対する地元の人気は相変わらずだ。大手メディアの世論調査(2月)では支持率70%。ツイッターのフォロワー65万人、3月下旬開講した「維新政治塾」の受講生は2025人――。国政への進出を狙った公約「船中八策」の原案も公表、矢継ぎ早に目に余る奇策を実践に移し出している。しかし、効率、合理化重視の強引な手法には識者の批判が強い。とりわけ、競争原理にはなじまない文化行政がどうなっていくか、目が離せない。
七尾 隆太(1966年卒、元朝日新聞編集委員)