▶ 2012年6月号 目次
私のテレビドラマ論①『日本の「今」を浮かび上がらせる地域発ドラマ』
浅野加寿子(NHK放送博物館館長)
来年2月1日はテレビ本放送開始から60年。その歴史を辿ってみると、実験放送時代に日本初のテレビドラマがつくられていた。1940(昭和15)4月13日に放送された「夕餉前(ゆうげまえ)」で、嫁入り前の妹と兄、母一家3人の夕食前の何気ない生活を描いた約12分のホームドラマ。写真がNHK放送放送博物館2階に展示されている。世田谷のNHK放送技術研究所のスタジオから放送され、内幸町の放送会館、愛宕山の旧演奏所、上野の産業会館の3か所の受信機に送信された。
かつて民放で放送されていたホームドラマ「ただいま11人」を見てドラマの道を志し、NHK入局後10年たってようやくドラマ番組部に異動し、その後プロデューサーとして、連続テレビ小説「あぐり」や大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」を制作した。転籍し愛宕山に勤務するようになりしばらくドラマから遠ざかっていた。
4年前の初夏、思いがけず文化庁の方から電話がかかり芸術祭執行委員会委員(テレビ部門・ドラマの部)を引き受けることになった。話題になりそうな作品を見始めた。その中に「本当と嘘とテキーラ」(作 山田太一、テレビ東京)があった。見た翌朝、登場人物が鮮やかに記憶の中にあり、まるで彼らにあってその場で見ていたように何か気持ちが充実し潤っていた。人間の気持ちの揺れ、本音、他人、家族との付き合い方、、、、。登場人物と時間を共有した充実感があった。ニュースやドキュメンタリーを見た時とは違う“潤い”。それはまさしく“ドラマの力”であろう。放送におけるテレビドラマジャンルの魅力と課題について論じてみたい。
今、地域発ドラマに注目が集まっている。今年4月からBSプレミアムに地域発ドラマの放送枠ができた。また先の国会の予算委員会でも委員から地域発ドラマへの質問も出ていた。
文化庁の芸術祭ドラマ部門の審査の時にもお金をかけた超大作より、地方の放送局のシンプルだけど新鮮味のある挑戦の作品に票が集まっている。
地域に生きる人々の生き様、喜び、悲しみ、息づかいなどを、その土地独特の空気感の中で鮮やかに伝え、日本の「今」を浮かび上がらせている地域発ドラマ。世のグローバル化の中で、ともすれば見失われがちなローカルな課題は、地域固有のものだが、実は世界の人々が、それぞれの地域で直面している共通な問題でもあることが多いのではないか。
生活者として地域を知り尽くしたスタッフの目線、出演者の表現は力強く新鮮でもある。
キー局の制作に比べて予算的にも恵まれない場合も多いのだが、その分スタッフの熱情が大きく力を発揮。手作り感、少人数のスタッフゆえの小回りの利く機動力が、テレビドラマ創成期、原点の意気込みを感じさせ、見る人に感動を与えるのかもしれない。
国内外の賞の受賞も多い。たとえばNHK広島放送局の制作した「火の魚」(平成21年)は、文化庁芸術祭大賞、イタリア賞、モンテカルロ・テレビ祭ゴールドニンフ賞など国内外の賞を総なめ。ほかに「ミエルヒ」(北海道テレビ放送)は平成22年度芸術祭優秀賞受賞など。
地方局で3~4年仕事をして東京のドラマ部に上がってきてSD・FDとしてスタジオを這いつくばり、入局10年を超えてようやく演出が回ってくるという徒弟制度が残っている職場のドラマ現場。ほかの番組に比べて予算が大きく失敗できないので、キャリアのない若いディレクターは自分の企画であっても演出できないのがドラマであった。それが変わりつつあるのか。地域発ドラマは今や入局3~4年の若手ディレクターの競作の場である。私がかかわった地域発ドラマは1995(平成7)年に東北管内の若手ドラマ志望者たちが連続で演出をした「家族旅行」。東北各地を旅しての家族の再生の物語でオールロケ。その演出の一人が大友啓史君。一昨年の大河ドラマ「龍馬伝」で話題になった演出家だ。
「私が初めて創ったドラマ」という枠でドラマ演出経験のないNHK内外の若きディレクターがドラマに挑戦する企画もあった。作家、ドキュメンタリスト、放送記者、俳優などの演出による今までにない新鮮味のある作品が注目されたようだ。それにしても「私が初めて創ったドキュメンタリー」はないのになぜ「ドラマ」はあるのだろう。潜在的にドラマ演出志望者が多いからなのか。そういえば報道番組の大ベテランやニュース番組の顔である中堅アナウンサーから“実はドラマ志望だったんです。”と告白を受けたこともあった。
地域発ドラマは若手ドラマ演出家の登竜門。誰でもドラマディレクターが可能な時代であり、新しい挑戦が魅力的な作品を生む時代なのかもしれない。
浅野加寿子
(NHK放送博物館館長 元NHK番組プロデユーサー 主な制作番組「あぐり」「利家とまつ~加賀百万石物語~」など)