▶ 2012年7月号 目次
後藤田正晴がみた夢 ~二大政党という幻~
瀬下英雄 (叡Office代表)
先月(6月)、一部の新聞に、目立たない記事ではあったが、リクルート社が近く株式の上場を目指すというニュースが載った。
24年前、1988年に発覚した「リクルート事件」は同社が子会社の公開前の株を有力政治家らに”贈賄"していたもので、政治倫理が厳しく問われた。そして、激論を経て6年後、1994年1月やっと「政治改革関連法」が国会で成立した。衆議院にそれまでの中選挙区制に代わって、小選挙区制をベースとする新しい選挙制度を導入して、日本でも二大政党による政権交代を実現しようというものだった。
新しい制度での第一回衆議院選挙は1996年9月27日だった。その後度重なる選挙を経て、13年後の2009年秋、政権与党の自民党が大敗して民主党が大勝した。やっと政権交代が実現して日本も二大政党時代に入ったように見えた。
だが、民主党政権ははじめから迷走した。まず鳩山首相が沖縄の米軍普天間飛行場の移転問題で政治的未熟さをさらけだし、続く菅首相は「3・11」に翻弄されて対応が遅れに遅れてしまった。
そして3代目、野田首相は”背後霊 ”財務省の思うままに操られて、野党・自民党が主張する消費増税に”猪突猛進"、ついに先月26日の衆議院での法案採決では大量の造反議員を足元からだした。事実上の民主党の分裂である。
この出来事は国民の多くにこれから日本の政治はどこへ行くのだろうかという疑問を突きつけた。民主党政権への国民の審判は、遅くとも来年秋にはやって来る。こうしたなか、最近メデイアの世論調査の結果などをもとにしたシミュレーションも始まった。その中には民主党が現有の289議席(2012年6月末)の3分の1にまで減り、自民党も現状の120議席より減って、両党が”団栗の背比べ"となるという厳しい見方もあるようだ。こうした予測の先に見えるものは、大阪維新の会などによる"奇跡”でも起らない限り、小党の乱立という政治混迷の世界だ。
さて、民主党政権を誕生させた「政治改革関連法」の事実上の生みの親は、当時、自民党の中枢にあった後藤田正晴さんだった。後藤田さんは「リクルート事件」が発覚した年、講談社から出版した「政治とは何か」のなかで「二大政党が政権交代を繰りかえしてゆく時代」への夢を語っている。著書から抜粋してみる。
「議会制民主主義の建前からすれば与野党が政権交代するのがノーマルな姿であって、自由民主党がこれほど長期に政権を担当するのは、決して好ましい姿とはいえない」と当時の政治状況を指摘し、「(二大政党であっても)外交・防衛などの問題について、いざという時は与野党の対立は波うち際でピタリと止まる。一刻も早くそのような政治が行われるようになることを期待したい」。
リクルート事件後の政治混迷を背にした後藤田さんの強い決意を感じる。
ところで、今回、野田政権が打ち出した消費増税法案は外国と事を構える外交・防衛問題とは次元が異なる。例えば戦争というような与野党が大連立すべき事態ではない。
民主党は政権交代の前、消費増税について自民党との対立軸とし、政権期間中は実行しないと有権者に明らかにしたというのが多くの国民の理解ではないか。ところが今回、野田首相は”突如"野党にすりより三党合意なるものをまとめて同一歩調をとってしまった。本来は与野党で対立点を明確にして議論を尽くすべき社会保障の将来論をすっとばしての合体であった。これでは、せっかくチャンスが訪れた二大政党政治の芽をつんでしまう。政党政治の自殺行為ではないだろうか。
「日本に二大政党は合わない。なぜなら日本の政党は政治的信念が弱く、主張の違いを明確にする事を避けるからだ」という意見。そして、「もう一度かっての中選挙区による『55年体制』に戻るべきだ」という主張も復活しつつある。
1996年9月、政界を引退した後藤田さんが、その後もよく「小選挙区制の浸透には時間がかかる」と話した事を思い起こす。「政治改革関連法」の成立からでも18年が経っている。
瀬下英雄 (1966年卒 叡Office代表 元NHK記者)