▶ 2012年8月号 目次
私のドラマ論③ 「ドラマの役割」
浅野加寿子 NHK放送博物館前館長 (2012年6月退任)
6月22日、第38回放送文化基金賞の授賞式があった。
演技賞を受賞した本木雅弘氏は「すべて準備されたその場に立つことで演技ができた」という趣旨の挨拶をしたが、「坂の上の雲」のチームワークのよさを感じさせるものだった。
私が28年ほど前、人形劇「ひげよさらば」のデイレクターだった時、テーマ音楽「cats and dogs」をシブがき隊の一員として歌ってもらい、タイトル映像には当時話題であったミュージカル「キャッツ」のイメージのメイクで登場していただいた。まだ10代の本木さんはメンバーの中で一番しっかりしている印象だった。あの頃をなつかしく思い出した瞬間ではあった。
テレビドラマ番組の大賞は「坂の上の雲」であり、企画、準備開始から8年目に第一部放送。第三部の放送終了までいれると10年以上という途方もなく長い年月をかけた作品。原作者司馬遼太郎が「映像化はむずかしい」と危惧した原作をスケールの大きな作品として見事にドラマ化。NHKでなければできない作品、テレビドラマ作りの志を見せた、などと評価された。熱い希望と夢が宿っていた明治という時代に立ち向かった青春群像を、きめ細やかな人間を深く見つめる暖かな視点で演出。多彩な登場人物一人一人を個性的に浮かびあがらせ、群衆シーンに至るまで丁寧に描き、日本人の夢の原点を見つめ直す、映像史上に残る質の高いNHKらしい娯楽作品だと思う。もっとも、第三部は人間というより若干戦闘シーンにウエイトがかかり過ぎた感があるが……。
かって民放各局、NHKそれぞれ局のカラーがあったが、今はどうなのだろう。ステーションイメージは、とても薄くなっているように思う。私は、かってNHKドラマに、重くて暗い というイメージを持っていた。プロデューサーとして、明るく軽ろやかではあるが骨格のしっかりした社会派ドラマを目指して制作してきた。出演者もNHK初出演という新鮮さを狙って視聴者層を広げてきたという自負もある。NHKドラマが明るく楽しくなった、と評価もいただいた。だが、今は NHKらしいもの が失なわれ、軟派すぎる作品、時代の後追いの企画が多いのではないだろうか。門戸を広げて外プロの作品が多く放送されるようになったことと関連はあるだろう。それらの多くは時代に迎合しすぎてような気がする。
今、ドラマで時代を先取りしている感があるのはWOWOなのかもしれない。「なぜ君は絶望と聞こえたのか」第65回文化庁芸術大賞、「移殖コーディネーター」「學」など、時代をとらえた人間の心の深部に響く作品を制作している。ドキュメンタリーと同じくドラマ制作には、時代を見る眼が必要であり、それは、今の流れより一、二歩先を見据えることが大切なのだと思う。企画、制作から放送まで時間がかかるのがドラマだとすると、制作者は放送時間をにらんで内容を検討。これにはプロデューサーの勘が求められ、放送時に、時代がついてきた、と感じられればプロデューサーの醍醐味なのだと思う。大河ドラマ「利家と松―加賀百万石物語―」(2002年)は、「これからは男女共助、共生の時代だろう」ということで夫婦連名のタイトルにもしたのだが、戦国時代の男女共同参画と話題になり、まさに時代がついてきたと実感しヒットにもつながった。
NHK不祥事がつづいた頃、公共放送にドラマは必要なのかという議論があった。ニュース、ドキュメンタリーといった報道が重視され、公共放送であるNHKにはドラマや音楽番組など娯楽は必要ないというものであった。私は、人の心を豊かにする上で娯楽番組の果たす役割は大きいと思う。公共放送は安心、安全のためのものであると共に、人々を幸せにするものでなくてはならない。娯楽の持つ喜び、希望、夢が活力となり、生きる力となり、ふくよかな人間をつくるのではと信じている。ドラマはニュースのように、情報として短く伝えるのではなく、じっくりとメッセージを伝える効果がある。時間をかけて番組を味わい、笑い、涙し、感動することが心を育むことにつながると思う。ドラマを通して人間の素晴らしさ、やさしさ、可能性を伝えられると期待している。
ところで、「大河ドラマミニ」という5分番組があるが、予告編ならともかく、45分番組を5分のダイジェストで放送することがよいのだろうか……? 疑問に思う昨今である。
浅野加寿子 NHK放送博物館前館長 (2012年6月退任)