▶ 2012年9月号 目次

旅と人間――ルネサンスの都、フィレンツェ――

山岸 健(慶應大学名誉教授)


旅の楽しみは人情風俗に触れながら人びとの暮らしの姿に接することにあるが、おそらく誰もがその地方やその土地の風光や景色、風光を楽しく体験することに旅の喜びがあるというだろう。
 スイス、ジュネーヴで生活していたアミエル、その日記で著名な哲学者だが、彼は日記の片隅に「風景は気分である」という言葉を書き残している。風景は景色、風光であり、大地の状態や様相、眺めを意味している。気分は精神(心)の状態をさす。フランスの詩人、作家、哲学者、文人、ヴァレリーの中心的な視点だが、身体、精神、外界という見方がある。ヴァレリーの文筆活動の出発点に自分のことを経験の弟子と呼んだレオナルド・ダ・ヴィンチが姿を見せている。
 人間の気持ちや感情、感性、気分に働きかけてくる風景の力にはまことに深いものがあると思う。人生の旅びとにとって大地も風景もはるかなる旅路において大切な伴侶なのである。

 ソローが生きている詩と呼んだ地球、地球上の大地には芸術の都、美術の都、また大学都市などと呼ばれる感性や知性の都市、人びとの感覚や想像力、思索に生き生きと働きかけてくる都市や特別な場所(トポス)がある。そうした都市のなかでもイタリア、ルネサンスの都市、フィレンツェは、特別な都市だと思う。名だたる絵画作品や大聖堂、教会、修道院、水の流れ、アルノ川と橋、その風景と風光、その歴史、さまざまな舞台に姿を見せる著名な人びと、その名声と栄光、旅びとに働きかけてくる大地と風景の力という点で旅びとにとってフィレンツェは忘れがたい大地だ。生きている大地だ。

 フィレンツェの母なる川、アルノ川の左岸の小高いところから名高い橋、ポンテ・ヴェッキオや右岸、左岸の市街地と建物を望んだフィレンツェの絵はがきを手にしている。横長のフィレンツェ風景の下の方にはレオナルドの言葉がイタリア語と英語で紹介されている。――「あなたが触れる川の水は、流れていく水の最後の水であり、流れてくる水の最初の水である。現在はこのようなものだ」。
レオナルドは水の流れに注目しながら現在という時、時間について思いを述べている。現在には過去と未来が、また、思い出や追憶とヴィジョン、希望が姿を現しているのである。一瞬、瞬時の現在ではない。そのつど、そのつどの現在、いまとここの現在は、人生を旅している人間にとって厚みと広がりがイメージされる生活と生存の、行動と行為の大切な舞台なのである。