▶ 2012年10月号 目次
毛沢東の行列~尖閣のむこうに覗く中国~
瀬下英雄 叡Office代表 (元NHK記者)
「金持ちは、怖がってあんなものには乗りませんよ」中国・青島市で中国企業の日本進出を支援する日本人公認会計士がふと私にもらしたひと言だった。それから間もなく、"あんなもの"実は、中国の高速鉄道が温州(浙江省)で大きな追突事故を起こした。2011年7月23日午後8時ごろの事だ。落雷で信号機が故障していたためとされるが、日本の新幹線では考えられない初歩的なミスだった。
"怖がって"というのは、事故から5ヶ月前の2月、当時の中国鉄道大臣が、実は、解任されていたことに関連する。彼は高速鉄道事業の入札で業者からなんと一回で20億元(約250億円)の賄賂を受け取っていたという。当然,高速鉄道の安全対策は手抜きだというのが情報に通じた富裕層(その多くは政府などの権力層)の常識だった。こうした権力層の収賄は氷山の一角とされ、役人・企業トップが不正に蓄財し、しかもそれを海外に隠し持つ資産は2010年までの2年間だけでも2000億元(約10兆円)に達するというシンクタンク(中国科学院)のデータさえある。
そして、年が明けて今年3月14日、中国の温家宝首相が記者会見で衝撃的な発言をする。「経済の発展に伴い分配の不公平、腐敗が生じている。解決するには党と国の幹部の改革が必要だ。もし失敗すると文化大革命の悲劇が繰り返される」この日は、全国人民代表大会が閉幕、首相として最後の記者会見だった。
文化大革命は、1966年毛沢東が主導して当時の劉少奇国家主席らを資本主義を目指す反逆者として追放、じつに10年後、劉氏が復活して、今の中国の改革開放路線(事実上の資本主義)へと舵を切るまで続いた。
温首相発言から半年、日本が尖閣諸島を国有化した。その日、9月11日以降、中国各地でデモが続いた。そのなかに、はじめはポツンと"ひとり"毛沢東の肖像画が現れたことに気づく人はあまりいなかった。だが、9月16日になると北京の日本大使館前を静かに行くデモではまとまって5~6本の竿に毛沢東像が掲げられていた。まるで亡霊となった毛沢東が列をなして現れ、今の共産党と政府のあり方を厳しく批判しているようだった。
一方、この"毛沢東の行列"とは別に中国政府公認もしくは、"やらせ"と思われる派手なデモが各地で見られた。多くの若者が日系のスーパーで略奪の限りをつくし、日本車に放火して回った。中国リスクという恐怖が世界中に広まった。
公認もしくは"やらせ"のデモは中国の権力機構を維持するための"安全装置"という一面を持つ。余り知られていないが、中国国営放送は日常的に、一説に年間100本を超えるとされる反日ドラマを放映している。反日というエネルギーを大衆に蓄積しておいて、ときに、爆発させて党や政府への批判をかわす手段としている。
今回,"やらせ"に応じて暴力行為をほしいままにした反日デモだが、その中核となった若者のほとんどがいわゆる「農民工」だとされる。貧しい内陸の農村から北京、上海、天津など豊かな沿海部の大都市や、浙江省、山東省など経済発展が進む地域へ出稼ぎに来たものの、職がないものも多い。これらの地域で失業中の農民工は2009年2月時点(リーマンショック直後)で2000万人に達するという調査もある。(東洋経済新報社刊 不安定化する中国)
中国は今、二つの大きな課題をかかえて曲がり角に立っている。経済紙フィナンシャルタイムズ(FT)によると、2012年の中国経済は、とくにヨーロッパの金融危機の影響を大きく受けて輸出が大幅に鈍化、13年ぶり1999年以来の低成長になるという。今回の反日デモをみた一部の外資が撤退の検討を始めるなど、さしもの改革開放路線も足元が揺らぎ始めた。しかも、改革開放がもたらした副作用「格差」は医療、年金などあらゆる分野でますます深刻になっている。
こうしたなか、もうひとつの課題、中国にとって最大の問題がうかびあがる。改革開放の巨大な果実を少数が独占している。温首相の指摘だ。中国はこの秋、5年に一度のトップの交代が予定されている。改革開放路線の旗手とされ、次の国家主席のポストが確実とされる習近平副主席にも、姉を中心とするファミリーが香港をベースに巨額の蓄財をしているという噂がつきまとう。権力の中枢では改革開放を廻って激しい対立があるという。不安定化する中国。日本は、安保・経済対策を含め油断なく中国に先手を打ってゆかねばなるまい。
瀬下英雄 叡Office代表 (元NHK記者)