▶ 2012年10月号 目次
もう1つのチェルノブイリ報告~原発大国、ウクライナの現実
佐々木宏人(元毎日新聞社経済部記者)
2012年7月、個人的に関係するNPO法人の人たちとウクライナ共和国にあるチェルノブイリを視察した。確かに現在も爆発した原発から半径30km圏内は立ち入り禁止区域となっており、その圏内は鉄条網に囲まれ、道路は警備隊が封鎖をしており、許可証がなくては入れない。幸い我々は許可証を得てこの首都キエフから車で三時間の制限区域内を視察できた。
爆発した原発から約5kmのところに、原発建設のために作られたかつて人口5万人を超える人が住んでいたプリピチャ市がある。今は高く繁った白樺やポプラの木に埋もれた完全な廃墟、人ひとり住んでいない。10階建てのアパート、旧ソ連時代の紋章を付けた学校、公会堂、サッカー場、無人の観覧車が揺れる遊園地‐‐‐。「ここにある小石、葉っぱなど外に持ち出さないで下さい」、案内してくれたウクライナ非常事態省チェルノブイリ原発副所長の声が飛ぶ。東京から携帯してきた「放射線測定器」のメモリーを見ると、毎時7マイクロシーベルト、日本の帰宅困難地域に指定されているところの倍の線量だ。
事故現場のチェルノブイリ原発を見下ろすガラス張りの展望台に立つと、写真でおなじみのコンクリートで覆われた石棺がある。ところどころコンクリートが崩れ落ちているところも見える。劣化が激しいため新しい鋼鉄製の覆いで囲む工事が、国際的な資金提供で行われることになっている。その有効期間は100年!―同原発所長のグラモトキン氏は語る。
福島とチェルノブイリを比較すると、放射線被害地域は福島の16倍、北海道と同じ広さだ。セシウムの飛散量はその六倍。しかし決定的に違うのは、チェルノブイリは原子炉本体の爆発で、ストロンチュウム(半減期6560年)、プルトニウム(半減期241万年)が飛び散り、セシウム(半減期40年)が大半の福島とは基本的な事故の性格が異なっていることをおさえておくことが必要だ。
そしてこの事故処理で28人の消防士などが急性被爆で犠牲になり、6000人以上の被爆地域の子供たちが甲状腺ガンを発症している。
しかしチェルノブイリを抱えるウクライナ共和国のエネルギー事情を現地で聞くと、現在世界第四位の原発依存度を示す原発大国だ。その依存度はフランスの72.7%、次いでベルギー、スロバキアの54%に続く47.7%(国連統計2011年)。「チェルノブイリは反・脱原発の象徴」という多くの日本人の思い込みを完全に裏切る数字といっていいだろう。日本に帰ってきてエネルギー専門家を訪ね歩いても、この事実を知らない人がほとんどだ。
現在、ウクライナでは国内四ヶ所に建設された15基の原発がフル稼働している。年間発電量は約900億kW(08年実績)、事故前の日本の原子力発電量の三分の一程度に達する。なぜチェルノブイリを抱えるウクライナは脱原発に進めなかったのだろうか。
確かにウクライナはチェルノブイリ事故後の三年間、「原発新規開発モラトリアム(停止)」を行った。しかし、ウクライナがロシアから独立すると、ロシアは、パイプラインを通じて供給していた天然ガスの価格の四倍引上げや、供給停止などの手段をとり揺さぶりをかけた。寒波が見舞った2005年には、ウクライナ国内では暖房不足で死者も出る騒ぎとなった。
これに対し、ウクライナは、結局、原発を再開、工事をとめていた新しい原子炉の建設も解禁、そして、モラトリアムの撤回に踏み切った。
資源小国のウクライナにとって、エネルギーの安定供給は国家としての生存をかけた問題なのだ。その意味でチェルノブイリ事故があっても、原子力発電は必要不可欠、「世論的には賛成派55%、反対派45%というところでしょう」(ホローシャ・ウクライナ非常事態省チェルノブイリ管理庁長官)、冷徹な政治判断での原発継続。
目の前に広がる緑の中に埋没しようとしているプリピチャ市の悪夢のような廃墟、その国の原子力発電依存度47.7%という現実、その政治的リアリズム、福島の事故の悪夢を抱えた日本に問いかけるものはとてつもなく重い。
そしてこれまでのチェルノブイリの半径30kmに限定されている日本の報道、文字通り「木を見て、森を見ようとしていない」。疑問を感じないのは私だけであろうか。
佐々木宏人(元毎日新聞社経済部記者)