▶ 2012年11月号 目次

旅と人間 ―― 経験と体験 ―― トポスとホドス / 駅舎の記憶 ――

山岸 健


ここからそこへ、かなたへ、出発と帰着、帰宅、旅とはあくまでも行動であり、道程、旅程である。鉄道の旅、船旅、空の旅、バスでの旅、徒歩旅行、遠足などさまざまな旅があるが、鉄道の旅は、やはり誰にとってもなじみのなつかしい旅ではないだろうか。現代では汽車という言葉が古い言葉となってしまったが、汽車の旅の日々があった。蒸気機関車の汽笛や走行音に郷愁を感じている人びとがいるだろう。汽笛や蒸気機関車が走行する雄姿は、鉄道の原風景、音の原風景ではないかと思う。
 ミッシェル・セールがフランス語、エクスペリアンス expérience について言及している。このフランス語には経験、体験、実験、試みという意味がある。ex は外へ、であり、日常の環境、当初の環境から離れて出発すること、という意味をエクスという文字に読みとることができる。また per という文字にはまったく異なる新たな世界を横切って旅することという意味が見出される。経験、体験は、まさに旅することそのものであり、旅とは明らかに経験や体験の濃密な拡大と深まりなのだ。日常の体験の転換、多かれ少なかれ冒険、それが旅することだ。
 ふたつのギリシア語に注目したい。そのひとつ、τóπo s トポスという言葉には、場所、ところ、位置、居場所、家、部屋、坐席、村や町などの集落、大地の特定の地点……などという意味がある。もうひとつの言葉はホドス、ὁ δ ó sこの言葉には道、旅、旅程、比喩的に方法さらに生き方という意味がある。
 旅とは道そのものであり、環境や世界、大地や宇宙空間、光や風、風土、風俗、人びとの暮らし、風景や音風景などが具体的に理解される方法なのだ。
 環境の音を音の風景、音風景と呼ぶ。サウンドスケープ soundscape という言葉がある。自然の音、人びとの暮らしの音、さまざまな人工音、騒音、静寂、音とともに音楽、時代の様相などがクローズアップされてくる方法、それが音風景へのアプローチだ。

 ところで旅や道程においておそらく誰もが旅の宿についてさまざまな思いを抱いていることだろう。鉄道での旅においてはなんといっても駅舎についての思い出が誰の場合でも深いのではないかと思う。地方の旅、ローカル線の小さな駅舎やプラットホームの思い出がある。