▶ 2012年12月号 目次
TVの“老後”ー放送開始から60年ー
荻野祥三
日本でのテレビ放送が始まって、来年2月1日で満60年になる。人間で言えば還暦だ。これまでの人生を振り返り、老後のことも考える節目が還暦である。
テレビはどうか。「進化するのがメディアの本質。老化などしない」とテレビは思っているかもしれない。だが放っておけばどんなシステムにも耐用年数がある。とっくに還暦を過ぎた筆者が、「老後の戒め」としている項目に従って、「テレビの老後」を考えたい。
その1。「自分はまだまだ若いと無理をするのは老化のきざし」。今、一番テレビを長時間見ているのは誰か。中高年層である。「どこも同じようなタレントが出て、同じような番組でつまらない」と言いながらも、テレビの前を離れない。男も女も高度成長期を働き盛りの世代として、あるいは子供や若者として、テレビとともに育った。
しかしテレビは、「若い人に見られないと成り立たない」と信じ込んでいる。そして若づくりをする。個人視聴率調査の集計区分にそれは現れている。年齢によってF1(女性の20歳から34歳)、F2(同35歳から49歳)、F3(50歳以上)、M1(男性の20歳から34歳)、M2(同35歳から49歳)、M3(50歳以上)。
民放のスポンサーが一番喜ぶのは、F1層が多く見る番組。一番購買力があるからだと言う。50歳以上は「あまりものを買わない」ので、どんなに長時間見ても歓迎されない。50歳以上は「区分なし」ということに驚く。50歳から65歳までと、それ以上ではライフスタイルも消費行動も違う。テレビの若者信仰が中高年を過少に評価しているのではないか。しかし各種データでは、テレビが期待するほどには若者はテレビを見ていない。
その2。「過去の成功体験にとらわれ現実を見なくなる」。日本の高度成長期は「テレビの青春時代」と重なる。民放のテレビCMに刺激されて内需が拡大。それがテレビ局の利益に還元されるビジネスモデルが完成した。同時にCMの到達尺度である視聴率競争も過熱して、番組面で様々な問題も発生した。NHKも契約者が増え、所得の上昇に対応して受信料も値上げ出来た。
しかし今は超低成長、少子高齢化、格差社会による消費の二極分化の時代である。CMがどれだけ視聴者に届いたかを計るGRP(延べ視聴率)は、見た人の消費レベルが均一化していてこそ意味がある。「一億総中流」と言われたようなバブル崩壊以前の社会だ。今は、「実際に買う人」にどう届いたか分からなければマーケティング効率が悪い。ネット広告には出来ても、テレビの視聴率では計れない。モデルは耐用年限を過ぎつつある。
GRPを重視した民放の番組編成は、NHKにも影響する。「民放しか見ないから受信料を払わない」と言われないためには、視聴率競争に参入する必要があるからだ。
その3。「若き日の栄光が遠くなったからと言って、自分を低く見てはいけない」。それでは、「貧相な老人」になるだけだ。ポイントは2つある。①メディア・文化産業としてのテレビの資金的パワーは依然として他を圧倒している。番組一本でも千万円単位で金を使える制作費の存在だ。制作費の流れは部外者からはつかみ難く、すべてが番組制作上の知的労作に使われる訳ではないが、新聞や出版の取材費、原稿料と比べれば桁はずれである。
おかげで、家にいながら世界の絶景を眺め、スポーツ中継や一流の芸術を楽しめる。金と時間と人手をかけて取材したドキュメンタリーで日本と世界の今を知ることが出来る。②災害時でも瞬時に日本全体に動画映像の情報を伝えられるメディアは、携帯やパソコンには無理でテレビしかない。東日本大震災の避難所を思い浮かべれば多言は不要。公共・文化的目的のために、たっぷり金を使う。このシステムは残して欲しい。
その4。「60歳を超えたら、次の世代に残すものを考える」。テレビ局が撮影した膨大な量のニュース映像やドキュメンタリー番組の今後を考えている。著作権、肖像権などの問題もあり、放送後の公開には制約が大きい。だが同時代を記録した一級資料である。取材時の状況など後世の資料吟味に必要なデータとともに、やがては公開すべきだ。もともとが「公共の電波」を使用した放送である。
今の時代。60歳での「楽隠居」は困難でまだ働く。「老後」は長い。テレビもまた、すぐに消滅することはない。だが20年後にも「視聴率モデルの若者ターゲット」路線で繁盛しているだろうか?明日の放送で忙しいテレビ関係者は、「自らの老い」をどう考えているのだろう。
元毎日新聞記者 荻野祥三