▶ 2012年12月号 目次
橋下大阪市長と文楽
七尾隆太
人間浄瑠璃文楽11月公演「仮名手本忠臣蔵」を大阪・国立文楽劇場で観賞した。運営団体、文楽協会への橋下徹大阪市長の補助金凍結表明をきっかけに、文楽が改めて注目され、試練を受ける文楽を心配する支持者らもあって、入場者は増えたという。筆者もその1人。ささやかながら、応援のつもりで足を運んだ。夏休み特別公演「曾根崎心中」に次いで今年2回目の観劇だ。補助金問題は結局、減額支給されることで決着したが、難題をぶち上げて相手に白か黒を迫り、世間の動向もにらみつつ落としどころを見つけるという橋下流の政治手法の典型を見た思いだ。
文楽についておさらいしよう。劇場のリーフレット「文楽入門」などによれば、大夫(浄瑠璃語り)、三味線、人形が一体となった日本を代表する伝統芸能の一つ。人形は首(かしら)と右手を担当する「主遣い」と「左遣い」、「足遣い」の3人で動かすのが特徴。江戸時代初期、竹本義太夫が大阪・道頓堀に竹本座を創設し、近松門左衛門が座付き作者として数々の名作を生み出してから人気を得た。幕末に淡路の植村文楽軒が大阪で始めた一座から、やがて「文楽」の名称になったという。人間浄瑠璃は各地にあるが、文楽を名乗るのは大阪だけだ。2003年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されている。
「仮名手本忠臣蔵」公演はほぼ満員だった。和服姿や外国人の姿も見かけた。ご存じ、
赤穂藩主の浅野内匠頭の家臣大石内蔵助ら47士が主君の仇、吉良上野介を討つた事件に基づいた物語。劇中では、浅野が塩屋判官、吉良は高師直、大石が大星由良助の名前で登場する。大序から大詰までの11段を通しで上演するのは8年ぶりといい、公演は午前10時半から午後9時まで1日がかり。私が観たのは第2部の7段目「祇園一力茶屋の段」から大詰「花水橋引揚の段」だ。大夫の感情がこもった独特の節回しと、人形の表情豊かな、きめ細やかなしぐさに引き込まれる。時折、近くの席からすすり泣く声も届いた。
橋下市長はどうも、こうした伝統文化は苦手らしい。大阪府知事時代に文楽を観賞した後のコメントが「二度と行かない」。クラシック音楽に対しても、「一部のエリートが聞くもの」との発言があった。この7月、文楽「曾根崎心中」を観賞した際には、「芸能文化について守るべきところは守っていかないといけないとよくわかった」としつつも、「演出など見せ方をもっと工夫して」などと注文をつけ、専門家をあきれさせた。ドナルドキーン氏が新聞のインタビューで「10回見たら文楽の良さがわかる」と応じていた。
橋下市長が文楽協会に求めたのは体質改善と自立。すでに、大阪府知事時代の08年度に、協会への補助金を3600万円から2000万円に減額している。市長就任後の今年度は前年度(5200万円)比25%減額の3900万円を計上、支給条件として協会との公開での意見交換を求めた。が、橋下氏の弁舌にしり込みしたのだろう、協会側がこれを拒んだため、市長は予算執行の凍結を表明した。その後、技芸員(演者)らの要望もあって、10月に協会が意見交換に応じたため、凍結は解除された。25%の減額は変わらない。この間、文化人の間からは「文化は経済原理だけでははかれない」となどと強い反発があった。
協会側に運営のあり方について改善の余地はあるにせよ、「自立」しにくい芸能であるのは明白。補助金を削る前に、大阪が誇る伝統芸能「文楽」を積極的に守る手だては考えられないものか。
地元大阪での一般の橋下人気は相変わらずだが、国政に進出したあたりから変化が見られる。何より、市長として道半ばなのに、地方自治体の首長と国政の団体の責任者の二足のわらじが務まるのか、との声だ。現に、市議会は予定より早く閉会してしまった。
文化界からの批判だけでなく、高圧的で、押しつけがましく、時には考え方を一変させる橋下流の政策態度に、経済界からも反発の声も上がっている。当初は、橋下氏が掲げた道州制、府市の二重行政の解消、市営交通の民営化、水道事業の府市統合などの政策に、経済界に歓迎ムードが広がっていたが、次第に不安がる経済人が増えているようだ。最近も有力な支援者だった経営者が「ついていけない」と支持をやめた。
日本維新の会共同代表としての橋下氏の発言も、旧太陽の党との合併以降、「フェードアウト」している。今後も、氏の動向に目が離せないことだけは確かだ。
朝日新聞元編集委員 七尾隆太(1966年卒)