▶ 2012年12月号 目次
山岳ツアーでも個人の準備を怠るな
木村良一
中国・万里の長城の山岳ツアーで、11月初旬、日本人の参加者3人が大雪に遭って死亡した。企画したのは、3年前に北海道の大雪山系トムラウシ山で8人が亡くなったツアーを主催した旅行会社だった。この旅行会社の2つの遭難事故を取材していくと、山岳ツアーに共通する問題点が見えてくる。
いまや空前の登山ブームである。年間1000万人以上が山を楽しむ大衆登山の時代といわれる。たとえば休日の新宿駅の早朝。カラフルなウエアにザックを背負って東京・奥多摩や長野・松本に向かう電車に乗り込む山ガールや中高年のグループの姿が目立つ。
ヒマラヤなど海外登山の経験も豊富な登山家で、山岳ガイドの友人は「登山には疲労、落雷、道迷い、転滑落、低体温症…とさまざま危険がともなう。それゆえ以前は大学の山岳部や社会人の山岳会に入って登山の知識や技術を身に付けた。それが一般的だった」と説明したうえで、「いまは知識や技術のない人々が、3000メートル級の山にまでレジャーや観光の延長という気楽な気持ちで、しかもろくな装備も持たずに入ってくる。気象などの条件がいいと、無事に登って下山できるけど、一歩誤ると遭難して命を失う」と指摘する。
そんな遭難事故を避けるにはどうすればいいのか。「登山は経験がものをいう。山岳会に入会して経験を積むのが一番だ。しかし多くの人はそこまではやろうとしない。せめて山岳ツアーに参加して経験豊かな山岳ガイドから登山技術を学び取ってほしい」と山岳ガイドの友人は強調する。
しかしながら山岳ツアーにはいくつかの問題点がある。そのひとつがコミュニケーションの問題。山岳ツアーには一見の客も多い。そうした参加者が山岳ガイドと気心が通じ合わなかったり、ほかの参加者と意見が食い違ってパーティーがまとまりにくかったりすることがある。ひどいときはそのツアーで旅行会社に雇われた山岳ガイド同士が初めて顔を合わせるようなケースもある。トムラウシ山はまさにそうだった。山岳ガイドが3人(1人は死亡)いたが、ツアーの出発までお互いを知らなかったという。
そんな状況でコミュニケーションをよくするにはどうしたらいいのか。(前出の)友人の山岳ガイドは「北アルプスの表銀座や裏銀座など山から山へ尾根伝いを歩く日数のかかる縦走などは、事前に参加者を集めて近くの山でトレーニングすることが必要だ」と話す。なるほどみなが集まって訓練を受けることで参加者同士が親しくなれるし、山岳ガイドが参加者の力量を把握することも可能になる。
もうひとつが予備日の問題だ。悪天候に遭遇した場合、天候が回復するまで山小屋にとどまるための余分な日程をあらかじめスケジュールに入れておくのがこの予備日。トムラウシ山と万里の長城の遭難ではともに予備日がなかった。予備日を入れると、ツアー日数が長くなり、参加費用も高くなるため、参加者を多く集めたい旅行会社はどうしても敬遠する。しかし次の日は晴れたのだから予備日さえあれば、2つの遭難事故は避けられた可能性が高い。予備日をきちんと組み入れているかどうか。これを見ることで山岳ツアーを企画する旅行会社の危機管理の能力が分かる。
最後に一番重要な参加者の心構え。それはたとえ山岳ガイドが付いている山岳ツアーであっても、参加者ひとりひとりが雨具や防寒着、非常食、地図、方位磁石、ヘッドランプなどの必要最低限の装備を怠らないことだ。旅行会社に頼りすぎる他力本願はよくない。万里の長城の遭難では、旅行会社が参加者に十分な雪山の防寒対策を指示していなかったことが問題になっている。そうした旅行会社の責任は大きいが、参加者自らも情報収集して装備を整えることが大切だ。
山に登るというならば、ビバーク(不時の露営)に使うツエルト(握り拳ほどのサイズに収納できる簡易テント)は携帯しておくべきだ。私も数年前から奥多摩や北アルプスなどで登山を楽しんでいるが、独りで登るときでもグループ登山でも、低山でも高山でも、ザックの底にツエルトを常に押し込んでいる。
汗をかきながら登り、樹林帯から稜線に出たときに吹き抜ける風に当たったときの気持ちの良さは、筆舌に尽くし難い。山の中で食べるおにぎりや一杯の水ほどうまいものはない。穂高連峰の山々が赤く染まる朝焼けのモルゲンロート。夜間、山小屋から見た満天の星。白や黄色の小さな高山植物の花々。どれも山の大きな楽しみだが、それらは身の安全が保たれてこそ、本物の楽しみとなる。
(産経新聞論説委員 木村良一)