▶ 2012年12月号 目次
旅と人間 ~ 遠野 ― 花巻 ― 大内 ~
山岸 健
ジャン=ジャック・ルソーは大地を人類の島と呼んでいるが、地球を見るとさまざまな海洋や大海が目につく。海と海原の地球が浮かび上がってくる。大陸、陸地と海洋、海原、さまざまな島々、北極と南極。宇宙空間に姿を現している太陽系の惑星、地球。人類やさまざまな動植物、鉱物のトポス τóπo s 場所、ところ、地球、この星と宇宙空間は、人生を旅する人びとの生活と生存のおおいなる舞台なのである。トポスとならぶギリシア語、ホドスὁδósこの言葉には道、旅、旅程、比喩的な意味で方法、また生き方という意味がある。大空を旅する太陽の道程と道がある。東から西へ、明確な方向と方向性だ。地図では上方が北である。
日本列島を旅した人びとのなかでも柳田國男、柳 宗悦(むねよし)、今(こん) 和次郎、宮本常一に注目したい。民俗学の柳田、民芸へのアプローチ、柳、そして民家探訪の今、民俗学の宮本である。いずれの人びとにおいても日本の各地、各地方、庶民の日常生活と人生、大地と風土、風景、風俗、民間伝承、ローカル・カラー、旅と旅路などがクローズアップされてくる。調査、採集、研究、蒐集、記録……柳田、柳、今、宮本は、まさに日本列島を旅した人びとであり、見る人、聴く人、書きとめる人、描く人、集める人、大地と風景、音風景の人だ。
『遠野物語』の柳田國男によって遠野の庶民生活、常民の習俗と文化、さまざまな伝承、大地や土地の歴史と人びとの生き方などが生き生きと記述されたが、この作品は佐々木喜善が語るところにしたがって柳田が文章として完成させた作品である。『遠野物語』には曲り家の図面や屋敷図がおさめられたページが見られる。
ある年、八月の後半だったが、私たちは家族三人で遠野 ―― 花巻 ――
会津の大内(おおちの)宿(しゅく)を旅したことがある。遠野では民宿、<曲り家>に宿をとって、『遠野物語』ゆかりの大地と柳田のトポスとホドス、場所、ところと道、旅を体験したのである。河童淵のほとりで私たちの想像力がふくらんでいった。みごとな曲り家を訪れたが、人びとの居住空間と馬小屋がL字型に連結された独特のローカル・カルチャー、民家のたたずまいを体験して人びとの人生と暮らしについて私たちの思いが深まったのだった。
民宿、<曲り家>、私たちはザシキワラシが部屋の片隅に姿を見せている一部屋で眠りについて、遠野の朝を迎えたのである。
<曲り家>の囲炉裏端での人と人との触れ合いと火が燃えているトポスの雰囲気と印象が、昨日のことのように思い出される。囲炉裏端の場所と生活と居住の空間は、みごとな宇宙、世界だった。人びとの日常生活は、こうしたトポス、場所に凝縮されているのである。火が燃えているところは、暖い場所、明るい場所、乾燥の場所である。人と人との出会いと触れ合いの広場、舞台、それが囲炉裏端なのだ。
民家と家屋敷、家まわり、近隣の大地と風景、その地方の風土に注目したい。人びとの日常生活と人生は、まことに濃密な人間的空間と居住の舞台で日々、きめこまやかに築き上げられてきたのである。
花巻では宮沢賢治と高村光太郎だった。北上川のイギリス海岸へ。そして花巻の賢治の記念館へ。大地と土地と人びとの暮らし、風景に注がれた賢治のまなざしに注目したい。彼のチェロが展示されていた。イーハトーブの賢治だ。
私たちは高村光太郎の山麓の小屋と記念館を訪れたが、高村のトポス、小屋の囲炉裏が目に触れた。日時計があった。障子紙を用いてつくられたシンプルな太陽の時計だった。光太郎はこの山口山のふもとの小屋で自分一人ではあるものの、いつも智恵子とともに人生を旅したのである。
私たちは会津若松へいき、会津裏街道に沿った鉄道で大内(おおちの)宿(しゅく)へ。名だたる宿場である。家なみと集落(トポス)の景観は、ほんとうにすばらしかった。私たちは夜、民宿から街道に出て漆黒の闇夜と静寂を体験したが、暗闇のなかで奥会津の大地を深々と体験したこの旅の日々を思い出す。街道には火見やぐらがあった。この道、ホドスから分かれた道を歩いていくと鎮守の森があった。鎮守の森は日本の代表的な原風景だ。
遠野 ―― 花巻 ――
大内宿、私たちは各地で日本の原風景と庶民の大地、人びとの生活のドラマを生き生きとした状態で体験することができたが、大地と宇宙空間によって、人びとや風景、音風景のなかで人生を旅する人びとは救われてきたのである。
山岸 健(慶應大学名誉教授)
=スケッチは、遠野:民宿<曲り家>の入口で