▶ 2013年1月号 目次
“日韓条約体制”を問いなおす韓国の歴史研究者
畑山 康幸
韓国大統領選挙で与党セヌリ党のパク・クネ(朴槿恵)候補が民主党のムン・ジェイン(文在寅)候補を破って女性として初の次期大統領に選ばれた。
今回の大統領選挙では、グローバル化、新自由主義的経済政策のもとで進んだ経済格差の解消が最大の争点となった。「慰安婦問題」を口実にしたイ・ミョンバク(李明博)大統領の竹島上陸、天皇謝罪要求発言でこじれた日韓関係の修復問題はその陰に隠れ争点とはならなかった。この背景には、韓国における日本の地位が、韓国自身の先進国化、中国との関係の深まりなどによって相対的に低下していることがあると指摘されている。また「歴史問題」に関して韓国内では対立がないこともその理由である。しかし日韓関係の修復には、次期大統領も「慰安婦問題」に象徴される「歴史問題」という政治課題に取り組まざるをえない。
日本は朝鮮半島を36年にわたって統治したため、韓国・北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国との間ではこれまでも「歴史問題」が生じている。韓国は「慰安婦問題」「竹島領有」「靖国参拝」「強制動員問題」「教科書問題」などを取り上げ日本に対してきびしく臨んできた。
こうした「歴史問題」が日韓の外交問題、政治問題化する背景には2012年秋号で創刊100号を迎えた季刊歴史研究誌『歴史批評』(歴史批評社)の存在がある。
歴史研究誌のひとつにすぎない『歴史批評』がなぜ注目されるのか。それはこの雑誌が「進歩的歴史学の象徴」と自らを位置付け、創刊以来25年にもわたって朝鮮近現代史、日朝(日韓)関係史の解釈をめぐる論争において中心的存在であり続けたためである。同誌に掲載された論文やその見解は歴史学研究にとどまらず、国民意識や歴史教育、さらには時の政権の外交政策形成に一定の影響を与えてきた。
『歴史批評』100号には、成均館大学東アジア歴史研究所イ・シンチョル研究教授の「国家間歴史葛藤解決のための歴史政策の模索」が掲載されている。この論文では日韓の「歴史問題」を11項目に分類し、問題の所在と“解決策”なるいくつかの対案を提示している。筆者の目には、事実の誤認や日本側としてはすでに解決済みとしている問題等も含まれており、疑問の残る論文ではある。いずれにしても論文の核心は“解決策”として、1965年に結ばれた日韓基本条約にかわる「新協定の草案提示」をあげた点にある。これは事実上「歴史問題」解決に名を借りて日韓条約体制の変更を迫る政治的提言=歴史の政治化という性格をもっている。
同誌にはまた高麗大学カン・マンギル(姜萬吉)名誉教授(朝鮮近現代史)の論文も掲載された。カン名誉教授は、著書『分断時代の歴史認識』『韓国近代史』『韓国現代史』などが日本でも翻訳出版されているこの分野の第一人者である。名誉教授も日韓基本条約に言及し、この条約では「韓日“合邦”条約(=韓国併合条約)の無効が明示されず、日本の朝鮮半島強制支配を指摘できず、したがって朝鮮総督府の統治行為が合法的なものになってしまった」と述べている。その上で「韓日“合邦”条約」を「韓日両政府が共に無効宣言をしない以上誤った歴史は是正できない」と主張したのである。この主張も日韓基本条約の日本側解釈の変更を迫るもので、到底日本側が受け入れられない新たな「歴史問題」を派生しかねないものである。しかし、権威ある歴史家のこのような見解は韓国の人々に信じられている歴史の“神話”を補完するものとしてその波及効果は小さくない。
日本の研究者は、韓国併合を「当時の国際法を考えれば合法」(神戸大・木村幹教授)と解釈しているほか、それを「もはや無効」とした日韓基本条約は「合意できないことに対して合意」(山口県立大・浅羽裕樹准教授)したと分析している。
韓国の歴代大統領は日本に対して「正しい歴史認識」をもつように促してきた。パク・クネ次期大統領も「正しい歴史認識が土台」であると強調している。パク・チョンヒ(朴正熙)元大統領の長女である次期大統領は、選挙戦の最中に「親日派の娘」と「歴史問題」で批判されており、「慰安婦問題」や竹島領有権問題で日本に融和的姿勢をとるのは難しいとみられる。
「歴史問題」を論ずるには、「歴史認識」もさることながら、歴史的事実を正確に把握し、それに立脚して客観的に歴史の真実を究明する姿勢が前提となる。18世紀の朝鮮に登場した実学派の人々は「実事求是(事実に基づいて真理を探る)」を説いた。この先人の精神こそ、政治問題化し、きびしく対立している「歴史問題」を解く日韓共通の糸口である。パク・クネ次期大統領が「実事求是」の精神で「歴史問題」に取り組むかどうか、注視したい。
畑 山 康 幸(朝鮮文化評論家)
=画像は韓国の歴史研究誌『歴史批評』100号の表紙