▶ 2013年1月号 目次
復興は生活再建を最優先に--2度目の年末迎えた被災地--
中島みゆき
東日本大震災から2度目の年末を迎えた被災地を訪ねた。「まず、復興。」と「国土強靱化」を掲げた自民党が政権を奪還し、大規模補正予算編成が注目を集めているが、被災地に吹く風は冷たい。三陸の多くの町では今、住宅や漁港など生活を支える施設が復旧しない中で巨大防潮堤などの計画が進み、住民が途方に暮れている。新政権には被災者の視点に立ち、まず生活再建、そして住民自身が主役になり地域の50年後、100年後に希望をつなげる復興を実現してほしい。
宮城県石巻市北部の内湾、長面浦では高さ8.4mの防潮堤が計画されている。長面浦は周囲約8km、面積1.4平方kmの海跡湖。幅50mほどの水路1.7kmによって外海とつながっている。防潮堤の幅は湾内で約30m、地盤の弱い湾口付近では約50mに達する。漁港を管理する石巻市からは、新防潮堤は既存防潮堤より海側に造ると説明されている。それは、海を埋めることを意味する。
「そんなことをしたら海が窒息してしまう」。長面浦で漁業を営む男性(62)は言葉を強める。長面浦では約20戸がカキ養殖と刺し網漁で生計を立てている。周囲を山に囲まれているため、湾内はミネラル豊富な沢水が海水と混ざり合う汽水域となっており、カキが7カ月で育つ。「ここは神様が気まぐれで造ったような海。外海から100m入った水が100m出ていかなくてはいけない。防潮堤で湾口が狭まれば、せっかくの良い漁場がダメになってしまう」。漁師たちの悩みは深刻だ。
長面浦を囲む尾崎、長面の集落は、北上川を遡る津波と海からの津波に挟み撃ちにされ壊滅的な被害を受けた。震災から2年近くたった今も、電気と水道が復旧していない。集落に向かう県道も未舗装で、雨の日は車の走行もままならない。復旧は来春の予定だ。住民は内陸部の集団移転する方針だが、具体的な未来図は見えていない。現在は車で30分ほど離れた仮設住宅から通って漁を続けているものの、全住戸を流された長面集落では、出荷作業をする場所すらない。漁港や漁港に続く道路の復旧メドも立っていない。
「卵が先か鶏が先か。復興の先行きが見えないから人が残らない。人が減るから復興も進まない。1日も早く漁業生産を軌道に乗せたい」。12月18日に開かれた尾崎・長面地区の会合では、切実な声が次々と出た。
長面浦から北上川を隔てた北上町白浜集落でも防潮堤計画が進む。11月には隣接集落につながる山沿い区間約700mの直立堤(高さ8.4m)の入札が行われ、仙台の建設会社が16億6000万円で単独応札した。この防潮堤の背後には県道が1本あるほかは山だけ。県河川課は「国道が不通になった時の避難路として守る必要がある」と説明するが、地元からは「避難路なら山側に造るべき。いらない防潮堤を造る金があるなら先にしてほしいことは山ほどあるのに」と溜息が漏れる。
被災地の防潮堤は2011年秋、「レベル1(100年に1度程度)の津波から住民の生命財産を守る」という中央防災会議の方針に基づき、県や関連機関が海岸ごとに基準の高さを決めた。宮城県は「高さは変えない。ただし背後に守るべきものがない場合は造らないという選択もある。町づくり計画との整合性を考え、位置や形状について配慮することはある」と説明するが、例外が認められたのは女川町や東松島市の一部地域にとどまる。
長面浦の場合、住民が集団移転した後は、防潮堤の背後は人が住めない地域に指定される。尾崎集落は背後にすぐ山が迫っている。いったい何を守るために造るのか。市に尋ねたところ「国土保全」と返ってきた。
「国土」とは何だろう。住む人の生業が成り立ってこその「国土」ではないか。
防潮堤への対応は、宮城県と岩手県で異なる。岩手県内で最も早く復興計画が進む釜石市唐丹町花露辺集落は、住民の意思で防潮堤なしの復興を選んだ。「海が見えないのは逆に危ない。津波が来たら逃げる。それが一番」と住民。人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった蓬莱島を望む大槌町の赤浜集落も昨年12月、県が示した14.5mの防潮堤は造らず、既存の6.4mの防潮堤を補修し住宅地のかさ上げなどで多重防御する計画を住民主導で作成し町も採用した。こうした復興計画ができた背景には「ボトムアップ型の町づくりを進めたい」という碇川豊町長の強い意志があったという。
震災から2度目の冬を迎え、被災地の復興はまだら模様。いくつかの幸せな例外を除き、中央集権型の縦割り行政システムは住民の意思をくみ上げられない。宮城県の自民党内や経済同友会からは復興庁の被災地移転要求も出ており、被災者ニーズに合った復興が急務となっている。「国土強靱化」といっても、人あっての国土だ。被災者の生活再建を最優先する復興政策を望みたい。(1989年卒、毎日新聞記者)