▶ 2013年4月号 目次

ローマ教皇の辞任と新大陸からの新教皇-カトリックに新風は吹くのか?-

佐々木 宏人


 ローマ法王・ベネディクト16世(86)が去る2月11日、600年ぶりという突然の退位を表明した。そして3月13日には2日間の“コンクラーベ”によって、これも史上初めて教皇の座は南米の地に渡り、アルゼンチン出身のフランシスコ(76)が新教皇として選出された。
 教皇は終身制と思いこんでいた極東・日本のゆるいカトリック信者の一人である筆者も、ベネディクト16世の退位には驚かされた。この退陣はまったく唐突で当日はバチカンは「ルルドの聖母」の休日で、その記者室は閑散とし、四人の記者しかいなかったという。内線テレビで退屈な枢機卿会議の中継を見ていたイタリア最大手の通信社ANSAの女性記者が、「教皇が退位を発表した!」突然泣き始めた。ベネディクト16世が会議の終了後のスピーチで「退位」を発表したというのだ。女性記者は泣きながらこの特ダネを「速報」として世界に流した。教皇担当広報官も知らず、狼狽していたという。それほど意表をつく突然の発表だった。(宮平宏バチカン記者室駐在記者の記事「福音と社会」カトリック社会問題研究所266号より)
そして教皇選出のコンクラーベには、全世界から4千人の記者が集まる騒ぎとなる。
しかしこの報道を聞いて同教皇が選出された8年前のことを話してくれた一人の高齢の日本人神父の回想を思い出した。
 「ドイツ出身で当時ラッツインガー枢機卿のベネディクト16世だけにはなって欲しくなかった。ミサ説教の際『今度の教皇選出のコンクラーベでは、改革派のミラノの大司教が当選するようお祈り下さい』といってしまい、色々と物議をかもしました」
 この神父が危惧を持ったのは、ドイツ出身の前教皇はドイツ人らしいカトリックの教義を厳密に守るという保守派。その前のヨハネ・パウロ2世は積極的だったエキュメニカル(多宗教間対話)路線、そして空飛ぶ教皇といわれた各国訪問などに消極的で、ベネディクト16世ではグローバル化し変化する現代社会に適応できない-という懸念を持たれていたという。ヨハネ・パウロ2世は共産主義による思想統制を激しく批判、出身地のポーランドを初めとする東欧諸国のソ連からの自立を事実上促し、ソ連崩壊にまで追込んだ実績によるカリスマ性を最後まで持っていた。そして同教皇は晩年、パーキンソン病を押しても在位を続け、死ぬまで“キリストの代理者”として絶大な信者からの支持をえた。
 「教皇は最後の一刻まで教会のために捧げ尽くすものだと思っていた私達にとって、(今回の退位は)正直ショックです」(東京教区・某神父)。キリストが十字架の苦難の中で死んだことを考えると、いくら「力の衰えてきたのを感じました。」(ベネディクト16世の2月27日の一般謁見演説)のが辞任の理由とはいえ、“キリストの代理者”としてのポジションを考えると今回の引退には首を傾げざるをえない。
 しかしその8年間の在位期間を振り返ってみると保守派ゆえに、イスラム教を批判する言動をして反発を受けて事実上発言を撤回(2006年)、さらに破門を解除した司教がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定する発言をしていたことが暴露され、ユダヤ人団体などから批判を受ける(2009年)。