▶ 2013年4月号 目次
マダニ感染… 正しく怖がるのは難しい
木村良一
「正しく怖がることは難しい」。こう語ったのは物理学者の寺田寅彦だったが、マダニに刺されて感染する重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の騒動で、あらためてこの言葉の重みを感じた。
SFTSは4年前に中国で初めて発生し、中国国内で数百例が確認されている。日本では今年1月末、初の死者が山口県で確認された後、愛媛、宮崎、広島、長崎…と感染死が判明した。これまでに10人ほどの感染が確認され、そのうち半数が死亡している。
感染者の血液から検出されたウイルスは中国で見つかったものとは遺伝子タイプが異なり、海外渡航歴もないことから日本国内で感染したとほぼ断定された。病原体はこれまで日本で確認されたことがなかった新種のウイルスということになった。
同じダニ媒介の感染症にはツツガムシ病や日本紅斑熱がある。今回のSFTSウイルスの発見を契機にダニと感染症の研究がさらに進むことだろう。
このSFTSウイルスに感染すると、高熱が出て下痢や嘔吐などを起こし、血液中の血小板や白血球が減少する。重症化すると、けいれんや意識障害、下血をともなう。ワクチンや抗ウイルス薬はなく、治療は対症療法に限られる。他の感染症と同様に抵抗力のない高齢者や幼児は注意しなければならない。マダニは全国に分布し、春から秋にかけてが活動期だ。これからのシーズン、山野の草むらに入るときは、長袖と長ズボンで肌の露出を避けたい。
こう書ていくと、SFTSウイルスによる怖い感染症がいま流行しているように思ってしまうが、決してそうではない。それが証拠に大半の感染判明例が昨年の夏や秋の発生で、なかには8年前に死亡したケースもあった。
報道も日本のどこかでアウトブレーク(流行)して人がバタバタと倒れて死ぬような事態が進行しているような伝え方が一時、続いた。自省を込めていえば、NHKを初めとするマスコミはもっと冷静に対応すべきだった。
感染の疑いがある患者の血液を検査して報告するよう厚生労働省が医師に義務付けた結果、感染が判明すると、厚労省が発表してその度ごとに報道されてきた。これが実態だ。患者が死亡していても血液が保存されていれば、検査ができるから感染死も分かる。
SFTSウイルスはインフルエンザウイルスのように人から人へとせきやくしゃみで飛沫感染することはない。感染力は弱く、流行する危険性はほとんどない。ウイルスを保有するマダニは1%にも満たないというからことさら怖がる必要もない。感染者と濃厚接触して血液や体液に触れるようなことがなければ、感染者から感染することもない。新種のウイルスといっても古くから国内に存在した可能性が高い。冷静に対応すべき感染症なのだ。
しかし日本で初めて確認され、死者も出たというだけで大騒ぎしてしまう。正しく怖がることがいかに難しいかがよく分かる。
事実、厚労省が冷静な対応を呼びかけても、林業や農業に従事する地方の人々の間で感染への不安が広がっている。発表に際しても厚労省は個人が特定されることによる風評被害を防ぐため、一部を除いて感染者の①性別②住んでいる都道府県③発症したシーズン―の3点に限ってきた。感染者の家族から「感染して亡くなったことが近所に知られると、もうここには住めなくなる」などと訴えられたからだという。しかし情報が遮断されると、返って不安が増大する。健康な人は感染死しないことを周知させる意味で、感染死した人の持病の有無や高齢かどうかなどは情報公開すべきだ。要は正しく怖がるには、正しい知識が必要なのだ。
ところでいま、怖がらなければならない感染症は風疹だ。過去5年間で最も流行した昨年1年間の患者数を超える勢いで都心でアウトブレークしている。インフルエンザのようにウイルスがせきやくしゃみで伝播し、感染すると、発熱や発疹が出る。
妊娠初期の女性が感染すると、産まれてくる赤ちゃんに白内障や難聴、心臓病などの障害が出る危険性がある。これが怖い。以前、女子中学生だけがワクチン接種の対象となった時期があり、今回の感染者の8割は、この時期のワクチン接種を受けていない20代から40代の男性だ。身近に妊婦や将来妊娠する女性がいる可能性の高い世代でもある。それゆえ怖がらなくてはならない。
風疹は春から夏にかけてアウトブレークすることが多く、今後さらに流行する可能性がある。「風疹は子供の病気だ」と思い違いしている人も多い。風疹の知識を深めて正しく怖がり、そしてこの世代の男性を中心にワクチン接種を進めたい。
木村良一 (産経新聞論説委員)