▶ 2013年4月号 目次
TVドキュメンタリーの誕生 『現代の映像』第1回~還らぬ海~撮影記 中
岸本勝
『佐吉丸』沈没
ところが午後11時45分『佐吉丸』は突然助けを求めてきた。私たちが甲板に上がった時は、全員『つね丸』に乗り移った後だった。『ゆうばり』の茂木船長は船体を放棄する段階でないとして排水を命じた。一度放棄した船に帰るのが恐ろしいのか、漁船員たちは排水作業に加わることを渋った。私は巡視船の乗組員と共にフィルモとバッテリーライトを持って『佐吉丸』に飛び移った。乗組員は浸水箇所の前部船底に排水ポンプのホースを入れる。船体中央部の機関室を上から覗くとエンジンのピストンが、その回転で海水をふき上げていた。そこへ降りてカメラをまわす。機関室の浸水は30センチメートル位か、突然上から『沈むときは一瞬だぞ、早く上がってこい』と桧垣航海長の叫び声が聞こえた。既にカメラも身体も海水でびしょ濡れだ。ワンカット撮るたびにレンズに着いた海水をガーゼで拭き取る。あらかじめ10センチメートル四方位に切り、ビニール袋に小分けしておいた20枚ほどのガーゼもほとんど濡れてしまった。漁船員たちはレーダーや無線機など金目のものを取り外すのに懸命だ。交代で充電しておいたバッテリーも暗くなる。私の持っているフィルモの標準レンズは、F0.95と非常に明るい。被写界深度は浅くなるが絞り解放で高感度の白黒フィルムと併用すれば、ノーライトでもかろうじて写るはずだ。目測で合わせるピントも絞りも日ごろ鍛えていた感が生きる。尾西PDも滑る甲板を駆けずりまわりながら、重いデンスケで録音をとり、その上PR用のスチール写真まで撮っていた。
午前6時半『佐吉丸』は、ようやく海上に浮かび上がり、排水ポンプを積んだまま曳航することになった。私は桧垣航海長ら4人の巡視船の乗組員と漁船員と共に曳航される『佐吉丸』に乗った。曳航し始めると漁船の甲板は再び波で洗われ、長靴の上から冷たい海水が入る。カメラにカイロを入れる暇はなく乗り込んだので、寒さのためフィルムの回転が遅くなる。カメラを防寒服の下に入れ腹で暖めながら、恐怖の表情の漁船員などを撮る。
操舵室の奥に置いたカメラボックスを見た漁船員が“こんな所に置いといたら、沈むときに持ち出せないですよ”という。彼らは既に排水作業に使ったバケツなどの手回り品を持って、何時でも逃げ出せる格好だ。そして私に“この船はもう沈む、早く航海長に話してくれ”と青ざめた顔で頼む。この時、桧垣航海長は沈みかけた『佐吉丸』のブリッジの上で“船体を放棄し、乗組員を『ゆうばり』に収容したい”と手旗信号で連絡していた。
無人のまま曳航し始めると、『佐吉丸』は船の形をした亡霊のように無気味に見えた。水を含んで抵抗を増したのか、やがて曳航索がぷっつりと切れた。積んでいた25トンのタラは、船内の海水が増えるたびに浮き上がる。これを狙うウミネコが群れをなして集まる。この様子を上甲板で三脚につけたアリーフレックスで撮り、今度はフィルモに持ち変えて後部甲板に降り、漁船員や船主の深刻な表情を撮る。
撮影する100フィート巻きフィルムは、時間にすると2分45秒しか撮れない。フィルム交換には、前後合わせて20秒間の空まわしが必要で、いくら早くフィルム交換しても1分間余りはかかる。この1分間余りの時間がフィルムカメラマンにとっては魔の時間だ。如何なるチャンスも逃がさないためには、アリーかフィルモのどちらかのカメラにフィルムを充分に残しておかなければならぬ。フィルムを最後までまわさず、残り30秒ほどになると、チャンスみてフィルムを交換しておく、決定的瞬間をとり逃がさないための知恵だ。
曳航索の切れた『佐吉丸』は、船体のなかばまで沈ませながらなお浮かび続けている。このままだと他の船舶の航海の邪魔になる。茂木船長は船主と相談し『佐吉丸』に穴をあけて沈めようと救命ボートを降ろそうとしていた。その時『佐吉丸』の様子が急におかしくなった。あわててアリーのシャターボタンを押すと、みるみるうちに『佐吉丸』は海中へ姿を隠していった。余韻を残すためフィルムを長々とまわした。沈没は急速で、その瞬間を見逃す人も多かった。3月5日午前9時45分、それはまさにあっけない最期でした。
(元NHKカメラマン 岸本勝)