▶ 2013年4月号 目次
TVドキュメンタリーの誕生 『現代の映像』第1回~還らぬ海~撮影記 下
岸本勝
取材その後
その夜、9人の漁船員は船主の芦崎さんの家に集まり、自分達が救助されたTVニュースを見た。その後のニュースでは、1月9日中部千島で消息を絶った『第25大国丸』は、ソビエトから拿捕していないと連絡があった。と伝えた。
次々起こる2日間の現象はすべて初体験でありました。台本もシノップスもないのは当然で、自分の目と耳と皮膚で感じ取った決定的瞬間の事実のみを淡々と撮影し、構成をたててきました。
放送が終わるとマスコミの話題になった。
週刊朝日は、〔気温零下十度の北洋に1日カメラをカイロで暖めながら、沈みゆく漁船の決死的撮影に成功したカメラマンとプロデューサー。その記録は4月12日夜NHKテレビで全国に放送された〕と書かれ、10齣のテレビ画面グラビア3頁を含め6頁の記事になった。
また、毎日新聞夕刊のポイント欄では、テレビ記録映画の傑作と題して〔氷海のまっただなかで孤立していた漁船、それを救い出す巡視船、やがて浸水して危険におちいる漁船、それを曳いて帰港する途中、ついに漁船の船体は傷ついて沈没してしまう。このテレビフィルムはまっ白に凍りついた船体まで写しとって見事だった。日本の映画が、こういう記録映画の分野を伸ばし切ってないことを思うと、テレビの記録映画が開拓する余地はふんだんにある。NHKはこのフィルムを放送するにあたって、なぜかカメラマンの名前を画面にださなかった。どんな方針か知らないが、こうした場合スタッフの名前を当然明記すべきではないだろうか。この北洋漁業にいどんだカメラマンの名前は岸本勝氏である。〕など・・・
この番組が放送された後、新聞や雑誌で、テレビドキュメンタリー論の花が咲いた。『現代の映像』が放送しはじめてから、しばらくすると、同じ時間帯で放送していた日本テレビの『ノーフィクション劇場』は放送時間を変えた。
報道・教養番組充実の年
昭和39年度のNHKテレビ番組表を見ると、昭和32年11月から306回も続いた『日本の素顔』と100回を越えた教育テレビの『現代の記録』に代わって『現代の映像』が登場。前年の秋には『続日本縦断』に代わって『新日本紀行』が誕生し、『海外取材番組』『NHK特派員報告』『あすへの歩み』『生活の知恵』『時の表情』も月水金と週3本も放送され、この他『私の秘密』『ジェスチャー』『お笑い三人組』『事件記者』などの花形番組がずらりと並び、テレビ放送が発展期に入ったと言えましよう。
(元NHKカメラマン 岸本勝)