▶ 2013年5月号 目次
インターネットは政治を変える-有権者が声を出す時-
李洪千
7月の参議院選挙から、日本もインターネットで選挙運動ができるような「普通の国」の仲間入りをした。選挙でネットが使えない先進国では例を見ないガラパゴス化から少し抜け出すことができたと言える。有権者はネット上で候補者の選挙公約や政見について知ることができたり、SNSを通じて自分の意見や見解を候補者に直接ぶつけたりすることができる。また、支持する候補者を他人に勧めることもできるし、動画サイトに投票を呼びかけるのも可能である。候補者は、選挙期間中に自分のホームページを更新することが可能となり、ブログに支持を求める書き込みもできる。さらに、メールやツイッター、フェイスブックを通じて有権者に直接支持を呼びかけることも可能である。今日のようなインターネット時代なら、以上のようなことは当たり前だと思われるが、ようやく出来るようになった。改正公職選挙法案が4月20日参議院で満場一致で可決され、26日には衆議院で通ったからだ。
ネット先進国の韓国では2012年にいち早くネットでの選挙運動が完全に解禁された。韓国の憲法裁判所が、SNSを利用した選挙運動を規制する公職選挙法は違憲であると判断したからである。2012年に行われた国会議員選挙や、大統領選挙で有権者、候補者ともに、選挙日180日前から投票日の前日までネットを使った選挙運動は事実上何でもOKとなった。
インターネットが韓国の選挙で利用されるようになったのが2002年あるので、数えてみると10年の年月を経て完全解禁されたのだ。2002年は大統領選挙に出馬した7人の候補者のうち6人がホームページを開設し、選挙公約と政見はもちろん、個人のヒューマンドキュメントを載せたり、写真やテレビ広告をアップしたり、インターネットラジオを開設し街頭演説を中継するなど、様々な形態で選挙情報を提供した。2012年にはツイッター、フェイスブックはもちろん最近人気を集めているスマートフォン・アプリ、ラインにあたるカカオトークを利用した選挙運動が展開された。さらに、ネットユーザーに政策の提言を呼びかけたり、演説文の内容を提案してもらったりまでした。有権者は、説得されるものではなく、一緒に選挙を作ってあげる仲間に入った。
日本でもネット選挙を可能にする規制緩和の試みが2006年からあったものの党利党略の犠牲で改正されることはなかった。今回は2012年の韓国の完全解禁の動きに刺激され、また安倍総理の個人的な決断によるものである側面を否めない。
日本でネット選挙解禁に対する議論のほとんどが、誹謗中傷やなりすましが横行されることに対する恐れに集中している。ネガティブ的な認識はマスメディアによって拡散されていく。選挙運動の自由と公平性を保障するはずの改正選挙法だが、候補者と政党のみにメールの利用を認めている。メールが「なりすまし」に利用されやすいからであるからという理由だが、その根拠は明確に示されていない。メディアもツイッターで起きた「なりすまし」問題に関心をよせる。民主党の細野豪志幹事長は4月20日、国会の定数調整について述べたツイッターに、去年亡くなった政治評論家の三宅久之氏からコメントを送られた例がそれであるが、被害を受けた人はいない。
韓国のネット選挙について取材をうける度に、ネット選挙運動はメリットがあるのか、投票率は上がるのか、若者の政治参加は増えるのか、といつも聞かれる。新聞が、ラジオが、テレビが選挙利用されるようになったことと同じように、新しいテクノロジーは、いつも選挙運動に取り入られている。インターネットもその例外でもない。
車によって人間は移動の制限から自由になれた。これまで遠くまでいけなかった庶民、障害者、マイノリティーでも、恩恵をうけるようになっている。それと同じことがインターネット選挙解禁でもいえるが、平等性は以前より増した。持つ者と持たざる者の格差はほとんどなくなり、候補者も有権者が同じ土台に立つ環境が作られた。
しかし、インターネット選挙運動は選挙手段の一つに過ぎない。手段は本質を映すディスプレイである。政治家しか参加できなかった選挙というゲームに、有権者も参加できるように門戸を開いてくれたのは技術の進歩のおかげであるが、ゲーム参加するのは技術ではなく有権者みずからであることを忘れてはいけない。
有権者が自分の意見をもち、声を出し合うことでインターネットは政治を変える道具になれるが、黙っていると有権者のクビを締める鎖に化ける。
李洪千(慶應義塾大学専任講師)