▶ 2013年5月号 目次

「無責任の体系」を断て― 民主再生がかかる旧トップの「進退」

栗原 猛


 議会政治では政府、与党をチェックする機能がことのほか大事である。野党・民主党には早く立ち直って欲しいが、政党支持率はひとケタ台、参院選の候補者選びも遅々としている。再建するには旧トップが責任を自覚しない限り難しいのではないか。
 同党は政権崩壊の検証の中で「分裂騒ぎで党内も治められない集団との評価が定着した。普天間、政治とカネ、消費増税発言、解散時期の見定めなど党トップの失敗の連鎖が続いた」と、総括した。個人名こそ挙げてないが、「トップの失敗の連鎖」とは糾弾である。
 だがその後の経緯を見ていると、かつて政治学者、丸山真男が喝破した「無責任の体系」に突き当たる。丸山が1931年にはじまる満州事変からアジア、太平洋戦争に突入し、敗戦に到る当時の政府、軍トップの意思決定の過程を分析して導いた概念である。組織は縦割りで異論があっても保身が先に立ち、その場の空気が優先する。その結果、非合理な行動に走るが、責任の所在が曖昧なのでトップは誰も責任をとらないー。
 民主党の掲げた改革は官と敵対するのではなく、官のもつ「無責任の体系」を打ち破ることにあったが、この「無責任の体系」をそっくり踏襲した感じである。
 政権交代は人間尊重、社会保障の負担、雇用、格差是正、脱原発、外交紛争は武力で解決しないーという考えが、広く国民の共感を生んだからである。マニフェストという名称を嫌う政党があっても政党、政治家と国民との約束の大事さを議会政治の中に位置づけた意味は大きい。政策形成の登場人物の入れ替えや既得権益の排除、審議会委員の交代も試みられた。情報公開も前進する。貧困や雇用、市民活動の支援などが予算措置の対象になった。自殺者が3万人を切ったのは各種政策の組み合わせの成果である。
 しかしせっかくの政治主導も稚拙さをさらけ出していく。「コンクリートから人へ」は大事なテーマであり、その象徴だった八ツ場ダムは説明責任を果たしつつ初心を貫くべきだった。東京電力福島第1原子力発電所の事故は、自民党政権でも混乱したと思われるが、菅政権は拙劣だった。東京駐在の欧米特派員は、世界的な事故を起こして誰も責任をとらない日本人の責任感覚を驚いている。放射能が漏れているのに「収束宣言」もおかしい。