▶ 2013年5月号 目次

元NHKカメラマンの回想ーシージャック事件

岸本 勝


 私は昭和44年9月末、再び広島へデスクとして転勤になり、広島及び管内局までのカラー放送を実施した。
 45年5月12日の午後、波静かな瀬戸内海で定期旅客船が乗っ取られ、さらにその犯人川藤展久(当時20歳)が射殺されるという事件が起きた。
 これは福岡での自動車窃盗から、山口県で交通警察官を射殺した後、広島で警察官の拳銃を強奪し、軽自動車と人質を奪取、銃砲店へ押し入り、ライフル銃を奪って、広島県営宇品桟橋で旅客船『ぷりんす』を乗っ取り、瀬戸内海・松山そして再び5月13日朝、宇品港へ戻る。そして警察の狙撃隊による日本犯罪史上初めての犯人射殺と、次々に変わる犯罪のエスカレートと急テンポの場面転換は、アメリカ映画のどぎつさを付け加えたニューフェイスの犯罪事件でした。
 乗っ取られた『プリンス』を、ヘリコプターで追う杉本浩堂カメラマンへ、私は無線で「金 嬉老事件の時も、渋谷のライフル魔の事件の時もヘリコは狙い撃ちされているから、空撮は『ぷりんす』を追う巡視船群のロングショットと、巡視船越しの『ぷりんす』のショットが撮れればよい。あくまでも犯人の標的にならないように」と注意した。
 後日、警察の調査によると、中国新聞のセスナー機は被弾して、ガソリンが吹き出したが、落ち着いたパイロットはエンジンを切り、無事、隣の広島空港までたどり着いたとの事、一方、中国放送のヘリコプターも、燃料タンクに2発の弾痕が見られたとのことだ。
 『ぷりんす』が、再び宇品桟橋に舞い戻ると、川藤はあちらこちらに向けて発砲し、特に警察官や報道陣に銃口を向けてきた。この時の取材体制は、バズーカ砲のような600ミリ超望遠レンズを装着したアリーフレックスを持った松木利男カメラマンをキャッブに、機動性のあるフィルモで犯人の動きを押える者、警察官の動きをとらえる者の3人のカメラマンで体制を固めた。松木氏は当時の事を部内紙に次のように書いている。