▶ 2013年6月号 目次
がん治療も不妊治療も日本に合ったものを目指せ
木村良一
米国の女優、アンジェリーナ・ジョリーさんが乳房の切除手術を受けていたというニュースには驚いた。遺伝子にがんになる確率の高い変異があることが分かり、健康な2つの乳房から乳腺を摘出したという。彼女は5月14日付のニューヨーク・タイムズに寄稿し、その中で「決断は簡単ではなかったけど、乳がんになる確率は87%から5%以下になった」「コントロールできるものを恐れるべきではない」と書いている。なんと割り切った考え方だろう。
日本でも乳がん患者に対し、健康なもう片方の乳房を切除する手術は行われている。今後、ジョリーさんのように乳がんの予防から健康な両方の乳房を切除してしまう手術も始まりそうだ。しかし、乳がんはマンモグラフィーによるこまめな検診で早期発見ができ、がんの初期段階での手術が可能だ。10年後に乳がんに罹る可能性が濃厚でもその時点でもっと良い治療法が生まれているかもしれない。健康体に傷を付けるのが医療なのかという問題もある。
科学や医学の技術は目まぐるしく進歩し、革新的な治療や手術ができるようになっている。その一方でそれらにともなうリスクも考えなければならないし、生命倫理上、社会的合意を得る必要もでてくる。ジョリーさんのニュースもそうだし、ときを同じくして話題を呼んだ日本初の「卵子バンク」もそのひとつだ。
第三者の卵子の提供を仲介するNPO法人の民間団体「OD-NET」(神戸市)が5月13日、厚生労働省の記者クラブで会見した。それによれば、この団体が無報酬の卵子提供者(ドナー)を募ったところ、100人以上から問い合わせがあり、42人が申し込んだ。このうち血液検査を経て9人が最初のドナーとして登録された。さらに団体は疾病で卵子がない3人の患者を選んだ。この3人に卵子が提供されるという。
ボランティアから子供を持てない夫婦を助けようと望む女性が存在することが分かり、日本でも卵子バンクの事業が現実のものとなる。しかし、卵子提供に関する公的システムやルールがなく、複雑な問題が山積だ。「自然の摂理に反する」「倫理上、納得できない」という反対の声も根強い。国が法整備を急がなければならないのは言うまでもない。
たとえば産みの母と遺伝上の母親の扱い。民法では卵子提供によって生まれた子供を想定していないため、母親がどちらになるかは必ずしも明確ではない。相続にも絡んでくるし、ドナー側が「私の子供だ」「対価を支払え」と主張した場合、解決するための公的ルールがない。
OD-NETによれば、卵子の採取に伴う費用は提供を受ける患者側が支払う。だが、採卵の際にドナーは麻酔を受けるため、健康面でリスクを負う。仕事を休んでも補償はない。それらを補う制度が必要だ。子供への告知も大きな問題になる。OD-NETでは15歳になって子供が希望すれば、ドナーの名前などを伝える独自のルールを定めてはいるものの、長期間に渡ってそれを支える体制はできていない。
こうした問題があることについて卵子提供を受ける前にまず、夫婦でよく話し合うことが大切だ。
卵子提供などの生殖補助医療(不妊治療)をめぐっては2003(平成15)年4月、厚労省の審議会が、条件や基準などを示した報告書をまとめ上げ、法律を制定してそれに基づいたガイドラインを作ることを求めた。しかし、その後10年間、ほとんど宙に浮いたままだ。海外では法整備を進めている国があるのに日本の場合、生命倫理の問題がからんでくるとどうしても腰が引けてくる。国会の場できちんと議論を進めるべきだ。
ここ数年、不妊に悩む女性が高額な費用を払い、海外渡航して卵子の提供を受けるケースが増え、年間300人~400人の子供が生まれているとの推計もある。国内では一部の産科医が提供卵子による不妊治療を行い、なかには反対意見の多い代理出産まで行っている医師もいる。
この代理出産に対し、日本産科婦人科学会は①出産する女性に身体的危険性や精神的負担がともなう②家族関係が複雑になる③社会が許容していないーことから禁止し、厚労省も前述の報告書で罰則付きの法律によって禁止するよう求めている。
がんに侵される確率が高いならがんになる体の一部を取ってしまおう。こんなジョリーさんのような考え方は合理的でいかにもアメリカらしいが、日本人はそこまで割り切れないと思う。日本人には日本人の死生観がある。日本に合ったがん治療を模索する必要がある。同時に卵子バンクなどの生殖補助医療についても議論を深め、日本型のシステムを作り上げたい。
木村良一(産経新聞論説委員)