▶ 2013年6月号 目次

旅と人間/時は過ぎゆく ―福沢諭吉とともに―

山岸 健


 家でということは、安心してくつろいで、ということだ。旅に出るということは、なかば冒険するということであり、旅にはさまざまな不安がつきまとって離れないが、それでも旅の喜びと楽しみは、大きい。旅に出た時、自分が別人になったように思わない人はいないだろう。旅とは自己変革であり、自己革新、変身そのものではないだろうか。

 福沢諭吉の渡航、海外への旅がある。そうした旅にかかわる文章がある。福沢が生きた時代にあっては、海を渡って海外へという旅はまことに深い意味を持っていたといえるだろう。異例のことだ。福沢は思想家であり、教育者だが、実践的活動などにもたずさわった人物でもあり、福沢に研究者の姿を見ることは容易である。
 人間交際、文明、独立は、福沢諭吉の考察と思想の中心的なモチーフであり、言葉だが、気力、勇力という彼の言葉に注目するならば、慶應義塾の創立者を<力の人>と呼ぶこともできるだろう。
 初めにいったい何があったのか、という問に直面したファウストは、初めに言葉があったのか、意味があったのか、それとも力があったのかと思い悩んだ末に、ついに「初めに行為があった」という解答を見出したのである。ゲーテの『ファウスト』のシーンだ。――言葉も、意味も、力も、いうまでもなく行為も人生の旅びと、人間にとってひとしく大切だ。旅することによって人間にもたらされる力がある。行動力、実行力、理解力、想像力、能力、協力、努力、気力などさまざまな力があるが、旅によって人間の総合的な力が鍛えられることは確かだと思う。見聞をひろめることによって磨き上げられる感性と想像力に注目したい。
 感性と行動とがひとつに結ばれた状態での人間の開花、それが<旅>である。