▶ 2013年8月号 目次
NHKカメラマンの追憶──ENG改革の衝撃
岡田 多生
ベトナム和平協定(1973.1.)が成立の日、私はサイゴン(現ホーチミン)の中心にあるノートルダム大聖堂から祝福の鐘が鳴り響く広場で「やっと平和が来る」と安堵と一抹の不安も残した市民の表情を追って収録していた。
その中に米TVチームが、ハンディカメラと携帯VTRで取材していた。携帯VTRといっても20kgを超える重さ、ビデオテープは2インチ幅の太さで機動性のある機材とはいえなかったが、テープを米戦闘機で香港に送り、すぐ衛星中継して他社を出し抜くのだと教えてくれた。
この日、NHKは、南ベトナム各方面に散らばって取材したが、そのフイルムはサイゴン・タンソニュット空港から空輸し現像・編集して3日後に放送するのであった。
この米チーム収録現場を目の当たり見て、近い将来、TVニュースはこの電子システムになると私は確信した。
1970年、ソニーが小型白黒ビデオカメラとポータブルな3/4インチVTRを市販した。
これと前後してNHK技術研究所でニュースフイルムをビデオに置き換えられないか研究開発に取り組んでいた。取材の現場も小型軽量化、過酷な取材環境に耐えられる、技術の素人でも扱えるなど、当時の技術水準を超える注文を出していた。
翌年、報道用の単管式(FP1600J)カラーカメラの試作機ができ様々な条件でテストを繰り返した。日進月歩の電子技術、必ず革新的に開発・進歩すると私は信じた。
1972年10月米ホワイトハウスでベトナム平和交渉に関するキッシンジャー補佐官の記者会見があった。この会見場は狭く中継カメラは認められていなかった。
米3大ネットワークのNBCとABCはフイルムクルーを送り込んだが、CBSは小型ビデオカメラとポータブルVTRを組み合わせた、ENG(Electronic News Gatheringu)で撮影し、直ちに支局に運んで25分後に全米に放送した。このCBSのスクープでNBC,ABCもENGの導入に着手し、米テレビニュースはENG化を急いだ。
テレビは電子メディアである。光学系のフイルムはテレビシステムの傍系で本質的に異なる。ENGは現像が不要。取材現場から電波で映像が送れる。ニュースが追及してやまない速報が飛躍的に向上する。音質の良い同時録音長時間でき、臨場感のある現場音が活用され、インタビューも容易になる。テープは反復使用でき、経済性にも優れていると多くのメリットが挙げられた。
1975年日本ではENG元年であった。7月の沖縄海洋博開会式を各社は中継で伝えたが、日本テレビは初めて小回りのできるENGを使い、他社を出し抜いた。
9月に天皇・皇后両陛下が初めて米国を訪問された。このとき同行するテレビ5社は、最初は安定性がよく使い慣れたフイルムカメラで行こうと考えたが、米放送局はフイルム現像設備はもう廃棄してしまったとの返事でENGしかないことになった。
これを契機に、同行するテレビ5社はENGに切り替え、NHKが開発した使い易い報道用ENGカメラも使って、米から衛星中継し速報性、効率性が実証されて成果を上げ、民放局はENG化に向かった。
しかしNHKは、この革命的なシステムを導入するについて幾多の問題を抱えていた。
電子カメラを扱っていた技術系カメラマンは、「フイルムカメラマンが電子カメラを扱うことは職域を侵す」、フイムカメラマンは「撮影中、画像がモニターされて、撮影の創造性や主体性が失われる」と危惧し、職域間の対立や労使間の問題に発展した。
そのため早くからENGの開発に着手していたNHKが、民放より導入が遅れ、1978年3月26日の成田空港で反対派が管制塔に乱入し占拠した事件では、民放では取材したテープを電送し速報したが、NHKはオートバイで東京に運び、数時間遅れの放送となった。
せっかくのENGシステムが、労使間の“撮影済みテープの電波伝送は行わず輸送する”取り決めで、その性能が封印される時期があった。
新しい技術やシステムはこれまでの組織や人におかまいなしに突き進んでいく。
そしてENGシステムはテレビを根本から変えた。政治ニュースの取材では“ぶら下がり取材”と言われる政治家の肉声がどんどん放映されるようになり、また臨場感ある現場でのリポート、ロケが当たり前になった。
70年代に出現したENGは、ニュース取材はもとより放送制作を革命的に飛躍させ、“いつどこでも”のテレビ本来の性能を最大限に発揮できる道具となった。
岡田 多生(元NHKカメラマン)
=写真は、天皇訪米時、馬車でパレードする両陛下をENGで取材する