▶ 2013年10月号 目次
社説?社告?~消費増税と新聞の迷走~
陸井 叡
先月(9月)11日の夜、東京・銀座の料理店の一室でとある定例の会合が開かれた。参加者は朝日、毎日、読売新聞の幹部、これに官僚ら合わせて6人だった。話題の中心は、アベノミクスから、自然に、その日の朝日新聞と読売新聞の消費増税を巡る社説へと移っていった。「法律どおり実施すべきだ」という朝日、「肝心なのは成長の持続」消費税は見送るべきだという読売とが余りにも対照的だったからだ。特に、読売の幹部は「社説が書かれた経緯は知らないが」と部屋の仲間を煙に巻きながら「これが」と経営トップを示す親指を立てて話し始めた。「このまま消費税を上げると毎日、産経は巨額の赤字経営に陥り立ち行かなくなる。残るのは朝日新聞と読売新聞だけになってしまう。どうしてそれが判らないのか という事だろう」とかなりストレートな解説をした。
安倍政権は、当初、消費増税にためらいを見せていた。デフレ脱却が先という判断だったが、先月に公表された今年「4月−6月」のGDPが良い数字だった事などから、来春に8%とするという決断に向かい、懸念される増税に伴う不況への経済対策を一気に浮上させた。これまでのデフレ対策と合わせてまるで、"ごった煮"か"闇鍋"のような政策オンパレードとなった。
消費増税については、昨年の秋、当時の民主党政権と自民・公明の3党合意で決まり、新聞各社は、まるで、"大政翼賛会"的な"共同"キャンペーンを張って推進に努めてきた。ところが、まず、今年の8月31日、奇妙な事が起こった。
この日の読売新聞の社説が「消費増税の来春の実施は見送るべきだ」とする大論陣を張った。「アベノミクスの効果は充分ではなく、賃金・雇用の好循環は実現していない」と述べたあとの後半のくだりで正体を現した。「消費増税は(来春は見送り)'15年に一気に10%に引き上げ、その時には、新聞にも軽減税率を適用せよ」と書き込んだ。軽減税率は、コメ、ミソなど生活必需品の消費税を安くするものだが、新聞も同じ「公共財」だと主張する。
そして、更には先月26日、驚天動地とも思える事がおきた。安倍政権が、事実上、来春の消費税8%を決断したとの新聞各紙の報道が流れる中、この日の読売新聞社説は「来春に8%にするなら、そこで新聞にも軽減税率を直ちに適用すべきである」と主張したのだ。「安倍政権の消費税不況対策は、不充分だ」という"根拠"をオマケのように説明した。
さて、読売新聞社説とは質的に異なるが、消費税を巡る迷走が朝日新聞9月18日付け「何でもありは、許されぬ」と翌日の毎日新聞「ばらまきは本末転倒だ」にもみられる。安倍政権が「来春に8%」対策として、大型の景気対策(財政出動)に踏み切る構えを見せた事を批判したものだ。
実は、消費増税が不況をもたらす恐れについては'97年の橋本政権が経験している。増税(財政健全化)とデフレ対策(財政出動)とは、本来、二律背反のものなのだ。安倍政権は不況を恐れるあまり二つを"ごった煮"にしてしまった。もし、朝日、毎日 両紙が財政出動を批判するなら、もっと早くからアベノミクスに反論すべきではなかったか。何を今更というのが多くの読者の気持ちだろう。
さて、読売新聞社説の問題に戻ろう。かつて、新聞料金値上げの度に"談合"よろしく、まず、一社が社告で新価格を公表、続いて各社も次ぎ次ぎに社告を発表するという時代が有った。今回の読売新聞社説は、それに近い社告のようなものではないのか。というのは、「軽減税率を新聞にも」という思いは新聞各社の経営トップとも同じだからだ。そうした意味では、今回、読売新聞が新聞界を代表して"悪役"を買って出たという側面を否定し切れないだろう。(読売以外では、産経新聞が「主張」で軽減税率の導入を求めた) こうした新聞経営上の利害問題はやはり、社告という形で経営トップが責任を持って明確に表明すべきではなかったか。社説という形式をとったことにある種の"姑息さ"を感じた読者も多かったのではないか?
新聞経営は、広告収入の減少、購読者離れという主に二つのマイナスが止まらず苦境にある。消費増税は、事実上、新聞料金の値上げにつながるだけに、来春以降は、一段と厳しい局面となる。だが、新聞は「公共財」という理由だけで公的支援とも言える軽減税率の恩典を受けることを国民が納得するとは思えない。例えば、購読者数の透明化などの改革も求められるだろう。
マス・大衆を相手とする大手新聞というビジネスモデルにも制度疲労が見られる。インターネットをはじめとするデジタル媒体が台頭するなか、新聞がこれまで通りの質と量を追求することが可能なのか。新聞はなくなることはないとしても今のままで長く続く事はあるまい。むしろ、質を重点にコンパクト化を進めるべき時ではないのだろうか?
陸井 叡(叡Office)