▶ 2013年10月号 目次

1973年・第四次中東戦争体験記①-イスラエル・ロッド空港で丸裸に-

鶴木 眞


私がイスラエル政府奨学金を得て、エルサレムのヘブライ大学に留学したのは、1973年6月であった。私が降り立ったテルアビブの空港は、「日本赤軍」による銃乱射事件が、その前年に起きていた(1972年5月)。「ロッド空港乱射事件(Lod Airport Massacre)」である。「日本赤軍」は、この事件を「リッダ(Lydda)闘争」と呼んでいた。理由は、地名のヘブライ語読みが「ロッド」、アラビア語読みが「リッダ」だからである。
 この事件の背景には、日本国内での全共闘運動の顛末、特に「あさま山荘事件」以後、武力革命を目標とした「赤軍派」が国内的孤立化を、グローバルな「革命勢力」として立て直そうとした戦術転換があった。彼らの一部は、中東に渡り、「パレスチナ解放」を目指す「PFLP」と組んで、「真の世界の革命戦士」(岡本公三の陳述)であることを示すためにイスラエルの表玄関である空港で、乱射事件を起こしたのであった。
 このテロ攻撃で乗降客26人が殺害されたが、イスラエル国籍の死者は7人にすぎず、大部分はプエルトリコからの「キリスト教徒」巡礼団であった。殺害されたイスラエル人の中に、世界的に著名な科学者であるアハロン・カツィール(ヘブライ大学教授)が含まれていた。彼の弟エフライム・カツィールもまた著名な生物物理学者であり、イスラエルの大統領(1973-1978)を務め、伝説の女傑ゴルダ・メイヤー首相とともにエジプトとの和平条約締結(1979年3月、ワシントンにおいて)の礎を築いた。