▶ 2013年11月号 目次
新国立競技場建設問題に見る公と個の間
中島みゆき
2020年東京オリンピックの主会場となる新国立競技場建設をめぐり議論が沸いている。その大きさやデザイン、神宮外苑という周辺環境との整合性などをめぐり見直しの声が相次いでいるほか、総工費が当初予算1300億円から最大3000億円にも膨らむことも明らかになった。「いちばん」をキーワードに進められてきたこの一大国家的プロジェクトが今後どのように進めるのか、今後の日本社会のあり方が問われる問題として注目される。
■「いちばん」のデザイン〝公募〟
昨年7月、全国紙に新国立競技場のデザインを募集する全面広告が掲載された。キャッチコピーは「『いちばん』をつくろう」。コンクールの主催者は文部科学省所管の独立行政法人、日本スポーツ振興センター(JSC)。「今世紀最大の国家プロジェクト」として「8万人規模」「開閉式の屋根」「総床面積約29万平方メートル」「総工費1300億円程度」といった条件の下、建築家の安藤忠雄さんを審査委員長とする国際コンクールが行われ、11月に英国の建築事務所「ザハ・ハディド・アーキテクト」の作品が選ばれた。
代表者のザハ・ハディド氏はイラク出身の女性建築家。選ばれたデザインは流線型の「背骨」に当たる2本のアーチが特徴で、JSCの河野一郎理事長は発表時、「あのアーチを造るには相当な技術力が必要で、現在では日本にしか造れない。完成させたら『さすが日本だ』と言われるだろう」といった話が審査委員会でされたことを明かしている。
この選考をめぐっては、当初から水面下で不満がささやかれていた。参加資格が建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞など国際的な賞の受賞者に限られ「厳しすぎる」との声がツイッター上などでつぶやかれた。デザインが決まった後も「あの予算では造れないはず」「神宮外苑のスケール感や土地柄に合わない」といった疑問の声が出ていた。
■「神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」
見直し議論のきっかけとなったのは今年8月、建築家の槇文彦さんが日本建築家協会(JIA)会報に特別寄稿した論考「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」だ。ここで槇さんは、明治神宮周辺は風致地区であり高さ70メートルの巨大建築は適さないこと、周辺スペースに余裕がなく災害時の観客誘導に問題があること、将来の維持管理費などについて疑念を呈した。東京体育館の設計者であり建築界の重鎮である槇さんが自らの考えを示したことで、水面下の議論が表に出た。そして9月8日の東京五輪開催決定を経て、議論は一気に高まっていった。
10月11日に建築家の槇文彦さんや建築史家の陣内秀信さん(法政大教授)らをパネリストに建築家ら約30人が発起人となって開かれたシンポジウム「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」には、定員の2倍を超す約700人がつめかけた。会場には著名建築家に加え、若い世代の姿も目立った。
槇さんはこの日、世界の同様施設と比べても著しく大きい設計要件や若手の参入が難しい参加資格、選考経過の不透明さなどコンペの妥当性に的をしぼって話し「この機会に建築とはどういうものか、もっと真剣にさまざまな角度から考えてほしい」と結んだ。
■50年先を見た公共空間を
現状、新国立競技場は大きさが問題とされているが、問われているのは、先人から受け継いだ「まち」という記憶の産物を次世代にどのように受け継ぐのか、向こう50年で建設費とほぼ同額かかるといわれる維持費を人口減少社会の中で誰が負担するのか、といった「社会の意思」なのではないだろうか。
新しい競技場は2019年のラグビーワールドカップ、2020年の東京五輪・パラリンピックの会場となる。それは確かに夢のある話だ。一方で神宮外苑は人々がスポーツに親しみ憩う場でもある。短期間の祝祭と営々と紡がれていく日常、本来どちらも大切なはずだ。
都の都市計画審議会は今年5月、風致地区として15メートル以下とされていた神宮外苑の高さ制限を競技場周辺の13ヘクタールについて75メートル以下に緩和する計画を決定した。この際、都は周辺の建物所有者らの意見を聴いたが、神宮外苑という場に集う人々の中で計画を知っていた人は少ないと思う。
「いちばん」の施設を造り日本を元気にという「公」の目的は、日々そこに集う人々のふるまいの集積としての「共」の利益と調和している必要があるはずだ。人口やリソースが減っていく社会では個人=「個」と国=「公」の間に人々がともに生きる「共」の領域が豊かに形成されることが、よりよい未来を生む。50年後の東京、日本がどうあるべきか。新国立競技場建設問題がそうした文脈で、多くの人に議論されることを願っている。
中島みゆき(毎日新聞記者)
写真上=シンポジウムでは建築家の槇文彦さんらによる議論が交わされた=10月11日、日本青年館で
写真下=新国立競技場の立面を赤い色で表現した予想図が示された。隣の絵画館の高さを超え、非常に圧迫感があることがわかる。