▶ 2013年11月号 目次
ジャーナリズム研究の新たな試み~慶應義塾大学を舞台に~
山形良樹
慶応義塾の創設者・福沢諭吉は教育者のほか、ジャーナリストや起業家など、様々な側面をもつ人物でした。諭吉が明治時代に創刊した時事新報は、わが国新聞界の草分け的存在で,多くの優れたジャーナリストを輩出しました。この伝統を受け継いで、慶應義塾大学の旧新聞研究所・現メディア・コミュニケーション研究所は、かつて「慶應義塾大学新聞」を発行していました。この歴史を踏まえて、旧新聞研の修了生など関係者で組織する綱町三田会によって電子版ジャーナル誌「メッセージ@pen」が生まれ、さらに去年の暮れからは、慶応義塾大学の三田キャンパスで新たな試みが始まりました。
「メッセージ@pen」の編集に携わってきた現役・OBの記者らが、 メデイア・コミュニケーション研究所の山本信人所長に呼びかけて、 教授および、ジャーナリズム志望の学生、そして、ジャーナリズム 研究の院生たちとテーマを決めて議論する場が生まれたのです。いわばアカデミズムと現場の出会いの場です。「ミニゼミ」と名づけた勉強会は、今年に入って本格始動し、ほぼ2ヶ月に1回開かれています。討論するテーマは、毎回、原則として学生たちが決めます。これまでに「原子力発電」(1月)「誤報」(3月)「新しい環境とジャーナリズム」(5月)「実名報道」(7月)「政治報道」(10月)をテーマに熱く語り合いました。
10月8日、三田キャンパスの南校舎7階の教室で行われた「政治報道」の回では、放送・新聞業界の現役・OBの3人と教員2人、大学院法学研究科ジャーナリズム専修コースの1年生2人、文学部4年生と法学部政治学科の4年生と2年生各1人が参加しました。
ミニゼミでは、学部の学生があらかじめテーマに沿って論文を提出し、それを題材にOB・OGが論評し、皆で議論します。この日、政治学科2年の女子学生は、『「菅おろし」にみる日本の政治報道の現状と問題点』というタイトルで1300字の論文を提出しました。
論文では、東日本大震災の津波被害や原発問題など震災報道一色だったメディアが、いつしか菅直人首相(当時)の責任追及を報じるようになり、メディアや与野党の議員が躍起になって「菅おろし」を行う様は、震災に起因する問題が、まるで首相の退陣で解決するかのような論点のすり替えに感じたと述べ、被災地に密着した報道に集中していたメディアが政局ばかりを報じるメディアに変わってしまった結果、当時案ずるべき問題から目を離し、被災者を置き去りにした報道姿勢になってしまったのでないかと断じています。 そのうえで、報道は政局報道や政治家の失言報道に集中するものではあってはならない、長期的視野のもと、与野党の政策案を吟味し、建設的な議論を進める役割を担うのがメディアの政治報道であって欲しいと述べ、その実現のためには、メディアの受け手である私たちが、安易にニュースに物語性を求める傾向を改め、問題の本質と向き合うメディア・リテラシーを養うことが求められると結んでいます。これに対して、OBからは、「全体として読みやすく、言いたいことがよく分かる。メディアの問題だけでなく、自分たちの問題として捉えていて、メディア・リテラシーを養う必要があるという結びも良い。」「震災に起因する問題が、まるで首相の退陣で解決するかのような論点のすりかえのように感じた感覚はとても素直で良い。ジャーナリストに必要な批判精神も感じた。」とOBならではの暖かさを感じさせる講評があった他、「評論家的な文章は駄目、もっと自分で考え抜いて他人をうならせるような文章を書いて欲しい。個性が光ることが大事。」との辛口の意見も出て、OBと学生との本音のやりとりが続きました。
慶應義塾大学の大石裕教授が、今年のメディア・コムの紀要に「政局報道と政策報道」と題して、3.11震災報道を中心に「政局ばかり見ていても仕様がない。政策を報道する視点が必要ではないか。」と訴えた論文も題材になり、OBからは「政治報道を、政局報道と政策報道に分けて考えてみるのは、アカデミズムの世界では意味があるのだろうが、この2つは、実際は、渾然一体となっている。政治は一筋縄ではいかない世界だ。」との声が上がりました。また、社会部と政治部では、取材から出稿までのプロセスに違いがあることや、リクルート事件の裏話など現場を知り尽くしたOB達の話に、学生たちは熱心に聴き入っていました。ミニゼミが、福沢諭吉の精神を引き継いで、時事新報のように有能なジャーナリストを輩出する場となるのか、綱町三田会の試みは続きます。
山形良樹(元NHK記者)