▶ 2014年1月号 目次
新国立競技場議論の中心にあるべきもの
中島みゆき
2020年東京五輪・パラリンピック主会場となる国立競技場の建て替え問題が議論を呼んでいる。神宮外苑の歴史的景観や敷地とのバランス、将来の維持費負担の観点から見直しを求める声が相次ぐ一方、文部省や日本スポーツ振興センター(JSC)は「8万人」「屋根付き」という条件は五輪招致の「国際公約」であると譲らない。食い違いの根底に何があるのか。問題はどう決着すべきなのか。
■「あなたたちの金ではない」
「税金を使うんだから、そんなことでは困る」。11月28日、自民党無駄撲滅プロジェクトチーム(座長・河野太郎衆院議員)の席上、河野座長は語気を強めた。JSCは駐車場や商業施設を削り延べ床面積を29万平方メートルから約22万5000平方メートルに、総工費を1852億円に減らす見直し案を示していたが、計画策定プロセスや収支予測についての説明には具体性を欠くものも多く、議員からは「ずさんすぎる」と厳しい声が飛んだ。
新国立競技場の収支についてJSCは、大規模スポーツ大会や文化イベントによる収入45億5500万円に対し、管理運営費などの支出41億4800万円で、年間4億円程度の黒字が見込まれるという試算を示した。年間利用日数は48日間(サッカー20日、ラグビー5日、陸上11日、文化イベント12日)と見込むが、「本当に集客できるのか」「他地域のニーズを奪うだけでは」と懐疑的見方が相次ぎ、議員が「将来、税金による赤字補填は必要ないな」と言質を求める場面もあった。
こうした中、12月1日に東京大学で建築家の槇文彦さんや磯崎新さんらが登壇するシンポジウム「これからの建築理論」が開かれた。新国立競技場について槇さんは「最大の問題である意思決定のプロセスについて未だはっきりしない」と指摘。磯崎さんが「国際コンペには徹底的な透明性が必要。僕が逆の立場なら『なぜ(コンペ後にデザインを)いじるのか』と考える」と発言し、槇さんは「特定の賞をとった人であれば経験を問わないという要件は有名な建築家を選びIOCに報告したかったということではないか」と、改めてコンペのあり方を問題視するとともに建築について考えることの大切さを語った。
■都市と市民と建築と
「建築について考えること」とは何を意味するのだろう。槇さんは1960年代前半までを米国、後半以降は日本を拠点に世界で活躍している。
10月4日に行った講演では「日本では建築家の理想が組織の論理によって阻まれ、対話が成立しないという問題がある。最近はコミュニティーデザインなど顔の見えるまちづくりが小さな領域から行われている」と語り、1970年代以降の都市デザインにおいて市民の存在が重要になっていることを指摘している。
欧米圏の都市では、景観や建築について住民が意見を述べたり議論することが頻繁に行われている。米ニューヨークのワールドトレードセンター跡地開発計画では、2002年7月に市民団体の連合体が「Listening to the City」という5000人規模のワークショップを開き、州・市政府が設立した公共事業体による土地利用計画原案を退け、その後のコンペ要件にも影響を与えた。槇さんも8月に発表した論考「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」で、04年にスイス・バーゼルのコンペで選ばれたコンサートホールのデザイン案が事後の住民投票で否決され建設されなかった事例を挙げている。
■都市の祭典・国家の意図
ひるがえって新国立競技場はどうか。一連の過程において市民の意見を聴いたり市場調査を行った経緯はない。コンペの審査委員を務めた建築家の内藤廣さんが12月9日、「建築家諸氏へ」と題する文章を公表し「新しい国立競技場は奇異な形に見えるかも知れませんが、これを呑み込んでこそ、次のステップが見えてくるのではないか」と、原案を前提とした東京づくりを説いたが、そこに「住民」や「市民」への視線は見えてこない。
バルセロナやトリノで五輪施設を設計した磯崎新さんは東大のシンポで「オリンピックは都市が開催すべきものであり国が介入するのは間違い」という認識を示した。市民が都市をつくり都市が平和の祭典・オリンピックを開くというのが本来の姿なのではないか。だとするならば経済効果や国威発揚を狙う国による五輪誘致の道具として選ばれた、コンペ条件の1300億円という枠を著しく越えるデザイン案を「国際公約だから」と騙し騙し使っても、よい都市空間は生まれないだろう。
2014年が始まる。東京五輪に向けた動きも加速する。グローバリズムや情報環境の変化の中で都市のあり方も変わっている。次の半世紀どのような東京を望むのか、次代への責任を果たせる議論と選択が行われることを願ってやまない。
中島みゆき(毎日新聞記者)