▶ 2014年2月号 目次
公共放送のトップ像—NHK新会長をめぐって—上
荻野祥三
NHKの会長とはいかなるポストなのか。それを改めて考えさせたのが、就任会見での籾井勝人会長の発言である。「最初の一言」で見識が疑われ、衆議院予算委員会に呼ばれると言う前代未聞の事態。テレビ中継を見て、「この人が三年間公共放送のトップを務めるのか」と、暗然たる気持ちになった。常に「政治との距離」が問われるNHK会長。ここ数年は、外部からの起用と言う形でコントロールしようという「政治の意向」が伺える人事が続いている。事の本質は公共放送と政治の関係にあり、それが集約的に現れたのが今回の籾井会長問題で根は深い。
NHKの会長は、テレビ4波、ラジオ3波、さらに国際放送などを持つ世界でも有数の放送局のトップである。日々送り出される情報量は膨大で、国民世論、意識形成に与える影響は大きい。組織形態としては、一特殊法人の会長であるが、社会的な存在感としては並みの閣僚を越え、NHKと同じく「特殊法人」である日本銀行にも匹敵する。
素朴な疑問から始めたい。現在の黒田東彦日銀総裁は元財務官僚、その前の白川氏は日銀生え抜き。歴代を遡っても、金融や財政のプロが就任している。一方のNHK。問題の籾井氏は三井物産OB。先任の松本氏はJR東海。その前の福地氏はアサヒビール。三代続いて、放送関係者以外から選ばれている。
歴代のNHK会長の「辞め方」にも考えさせることが多い。NHKに初の生え抜き会長が誕生したのは1976年、12代の坂本朝一氏から。以来、籾井氏の前までの9人の会長のうち、任期を完全に全うしたのは半数に満たない。辞任の理由は国会での虚偽答弁、局内の不祥事への責任・・・。ここ三代の会長はいずれも一期三年で交代している。
さしたる失敗もないのに経営委員長に辞職を迫られた会長。二期目を目指しながら、周囲の「圧力」で退任を余儀なくされた会長。経営委員会を通じての政治のコントロールがあったと推測される。今回の籾井会長の選任に当たっても、経営委員に安倍首相に考えの近い人物が複数選ばれたことが要因となっている。
その籾井会長である。就任会見での「従軍慰安婦は戦争地域にはどこの国にもあった」。
「特定秘密保護法は、法案が通ったので、言ってもしょうがない」などの発言が大きく取り上げられている。こうした「個人的見解」もさることながら、「NHKのボルト、ナットを締め直す」など、会長としての抱負を語ったと思われる発言にこそ、大きな問題がある。
放送法の順守を職員に説いた籾井会長は、「会長の編集権行使と現場の制作報道で食い違う場合、どう対応するか」との質問に対し、「最終的には会長が決めるわけですから、私の了解を取ってもらわなければ困る。NHKのガバナンスの問題です」と答えている。「民主主義に対するわれわれのイメージで放送すれば政府と全く逆になることはあり得ない」とも語った籾井会長が、ガバナンスとしてNHK局内のボルトとナットを締め直す。「政権の意に沿う放送局」というイメージが出て来てしまう。
言うまでもなく、NHKは国家の意向を宣伝する国営放送ではなく、さまざまな意見を持つ視聴者からの受信料で成り立つ公共放送である。政府の方針と違った見解、政府への批判を、「偏向」として封じてはその存立基盤がなくなる。国会中継や国会討論会で、「政府と逆になることはあり得ない」として、野党の意見を伝えなかったらどうなるか。
報道やドキュメンタリー番組も同様である。政府に批判的な内容を放送することと、その放送局が「反政府的」であることは、全く別の次元の問題である。だからこそ放送法も第4条で、意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から取り上げることを求めている。その自覚が籾井会長にあるのかどうか。
その昔、戦場からの使者が自軍に不利な情報を伝えることを不快に思った王が使者を殺した。兵たちは脅え、それ以後は事実と反する「味方勝利」の報ばかりが集まり、暗愚な王の国は滅びた、との寓話がある。使者を番組の作り手に置き換えれば、今にも通じる話ではないだろうか。(下に続く)
荻野祥三(放送ジャーナリスト 元毎日新聞記者)