▶ 2014年2月号 目次
公共放送のトップ像—NHK新会長をめぐって—下
荻野祥三
籾井会長が就任会見を行ったのが1月25日。数日後の新聞にこんな記事が載った。ある大学教授がNHKのラジオ番組で原発問題を取り上げようとしたところ、NHK側から東京都知事選を理由にテーマ変更を求められ、教授は出演を取りやめた。NHKの担当者は、「原発が争点になっており、投票行動に影響を与える可能性がある」と言ったという。
明らかな過剰反応だ。原発問題に限らず都知事選にはさまざまな争点があり、これらを「公平を期する」ことを理由に控えていたら報道機関として成立しない。都知事選の告示は1月23日。その夜の「NHKニュースウォッチ9」を見た時にも疑問を感じた。トップはプロ野球楽天の田中将大投手のヤンキース入りで約10分間。以下、朝鮮総連本部ビル売却問題、「近づく春」の気象ニュースが続き、都知事選告示は午後9時25分から約5分間。事実を淡々と伝えるだけだった。
知事選の結果は国政にも大きな影響があり、当然トップニュースだと思っていただけに肩すかしをくらった。とともに、「ああやっぱり」との気持ちもぬぐいきれなかった。公平性を最優先にするのは当然として、その中でいかに見ごたえのある内容にするかがプロの生き甲斐のはずなのに。そう言えば、「特定秘密保護法」についてのNHKスペシャルがないことが、籾井会長の就任会見で質問された。世の動きを伝える「使者たちの脅え」。つまりNHKの番組制作者たちの自己規制が既に始まっていると私は考えている。
「NHK会長というポスト」について話を戻そう。三代続いた「外部からの会長」は、いずれも元大企業、大組織のトップである。元の仕事での役割は収益増であり、経営の効率化、ガバナンスの一元化などだ。あるいはJRのような安全輸送の徹底。いずれも大組織には重要だろうが、三会長にジャーナリズムへの理解が深かったとは思えない。
それでは、「生え抜き」の歴代会長がその条件を満たしていたのか?イエスとは言い難い歴史がある。政界ともかかわった内部の権力闘争があり、長年続いた金銭不祥事を見逃した組織的欠陥があった。政治との距離でも数々の批判を浴びた。「放送業界を熟知」していれば良い訳でもない。
「理想の会長」はなかなか存在しない。それでも、NHKの受信料を(まだまだ)多くの人が払っているのはなぜか。放送法で義務付けられているためだが、それだけではない。NHKの番組が見聞きされ、一定の評価が与えられているから視聴者が払っているのである。しかし、「放送と通信の融合」によって、受信料制度がいつまで持続できるかは分からなくなった。その時に、「政府の代弁」をする放送局に誰が金を払うだろうか。NHKの全職員が考えるべきなのはそのことだ。
「NHKが生き残るには何が必要か」。番組名を一つだけあげて、この稿を終りたい。一昨年9月に放送されたNHKスペシャル「追跡 復興予算19兆円」。東日本大震災の被災地復興のために組まれた膨大な復興予算の使い道を、丹念な調査報道で調べたドキュメンタリーである。復興予算が投入された500の全事業を一つ一つ検証し、予算が復興とは全く関係ない事業にも使われていることを明らかにした。
放送文化基金賞やギャラクシー賞などを受賞し高い評価を受けたが、そのプロセスは苦労の連続だったという。NHKの仙台放送局の記者たちが、「本当に復興に使われているのだろうか」という被災者の疑問をきっかけに取材を始め、東京の報道局員も参加して、5万ページの資料を読み込んだ。なかなか結果が出ないことへのプレッシャーも感じたという。検証作業は学者もシンクタンクも行っていなかった。それこそが、公共放送が行うべき仕事の一つだろう。
私が、NHK会長の適格者への条件を一つだけ挙げるとしたら、こうなる。こうした番組の取材過程で、役所や政治の壁とぶつかり「軋轢」が生じた。会長にまで情報が達したとする。その時に、番組が視聴者にとって必要であれば、「断固やるべし」。こう言える人物である。「国会で復興予算が通ったのだから、やってもしょうがない」という会長は論外だ。
荻野祥三(放送ジャーナリスト 元毎日新聞記者)