▶ 2014年3月号 目次
大震災から3年・ 5000人の作業現場〜福島第一原発報告〜
佐々木宏人
2014年2月末、関係しているエネルギー・原子力問題を討議する有識者のNPO法人の一行21人と、あれから3年目を向かえようとしている東京電力福島第一原子力発電所の構内を視察する機会をえた。
視察に当たっての同社の事前注意書きには以下のような項目がずらりと並ぶ。
「発電所構内は核物質防護上、様々なセキュリティー対策を施しておりますため、構内見学中の写真撮影は禁止」
「所内には高線量エリアがあり、当社案内者の指示に従って頂きます。指示に従っていただけない場合には視察を中止さて頂くこともあります」
常磐線いわき駅から民間会社のバスに乗り一時間、事故のあった現場から20キロはあるJビレッジに着く。日本サッカーのワールドカップの代表チームなどの練習場などとして、全11面のピッチを持つ広大な敷地は日本サッカー界の聖地となっていた。現在は「避難指示解除準備区域」(年間積算放射線量20ミリシーベルト以下)で、東京電力の復興本社(社員4000人)などが置かれ、事故処理の前線基地となっている。社員用など仮設住宅、作業員の車が見渡す限りピッチを埋め尽くしている。
Jビレッジから東京電力のバスに乗り換え現場へ。何回かの国道でのチェックポイントを経て発電所の構内にある「入退域管理棟」に着き、放射線測定器、マスク、手袋、靴カバーなどを渡される。通ってきた国道の沿いにある商店、住宅は無人、地震で半倒壊したそのままになっている商店もある。「帰宅困難地域」(年間積算放射線量50㍉シーベルト以上)という言葉が迫ってくる。
窓を閉め切ったままの中型バスに乗り、広大な東京でいえば千代田区の三分の一程度の広さの構内を回る。われわれの目に焼き付いたのは、3.11直後の水素爆発で無残な姿をさらした原子炉建屋と、津波の被害で横転した緊急車両などガレキが散らばる現場のイメージだ。
しかし現場を見て見ると無残な姿をさらしていたはずの原子炉建屋はいずれもコンクリートのカバーで包まれ、まったく事故当時の惨状は伺えず、周辺にはガレキも残されていない。全身を白い防護服で包んだ作業員の姿がなければここが原子力発電事故のあった現場とは思えない。これまで事故直後から三回は訪れたことのあるある原子力工学専門の大学教授は「ここまで来たとは!」と驚きの表情を見せていた。
現在、この構内で驚かされるのは見渡す限りある巨大タンクの存在だ。まるで備蓄用タンクの並ぶ石油コンビナートのようだ。今一番問題になっている汚染水対策のためのものだ。これは原子炉の損傷による炉への地下水の流れ込み―いわゆる汚染水―を貯め込む高さ10メートル、幅12メートルを中心にした放射線量によって区別されたタンクが構内にすでに千近く置かれている。すでに42万㎥が貯め込まれ、今も一日当り400㎥の水を貯め込まなくてはいけない。
これまで数回にわたりこのタンクからの汚染水が漏れて、安倍晋三首相の「完全にブロックされている」という発言もあって論議を呼んだ。抜本策として地下水の流入をストップさせる原子炉周辺を凍土壁で囲む、これまで前例のない工事が行われようとしている
この構内の現場で働いている作業員は5000人に上るという。「恐らく日本で行われている最大の工事現場ではないでしょうか」同行の鉄鋼会社幹部は語る。
しかしこの汚染水問題が福島事故の本質ではない。いかに今後30年、40年かかるという廃炉作業をどうやっていくのか、これがポイントだ。すでに使用済み燃料の取出しなど前段階の作業はスタートしている。気になったのは現場で働く東電の若い原子力技術者の退職が止まらないということだ。恐らく東電叩きのなかでの“負の作業”、仕方がないのかもしれない。だからといって放射線量の高い燃料をそのままにして、廃炉作業を行わなければ大変なことになるだろう。
すでに福島には国際的にこの廃炉作業を研究・推進する国際機関の誘致が決まっている。世界的に見てもこの廃炉作業は、今後続々と出てくる世界の数十年前に作られた原子力発電所の廃炉のモデル作業となるだろう。
マイナスの作業を何とかプラスの作業にしていくことが求められる。福島の経験を生かす技術を開発していかなくてはならない。今回の視察で東京電力の現場は、叩かれながら日本最大の現場をコントロールしながらやっとここまできたという自負があるように思えた。
どう現場でのヤル気を維持させて、この気の遠くなるスパンの作業を維持していくのか、国やマスコミの責任も問われている。
佐々木宏人(ジャーナリスト 元毎日新聞記者)