▶ 2014年3月号 目次
北朝鮮人権状況報告書と“国体”イデオロギー
畑山康幸
国連の北朝鮮人権調査委員会は2月17日、北朝鮮政府による組織的で広範囲な人権侵害を認め、これが「人道に対する罪」にあたると判断した最終報告書を公表した。
報告書は脱北者などの証言にもとづいて、北朝鮮を金正恩第1書記を頂点とする全体主義国家ととらえ、「まったくと言っていいほど思想や言論の自由がない」と強調し、政治犯収容所の存在を認定したうえで、拷問や強姦、さらには食べ物をあえて与えずに餓死させている、と断じている。さらに現在も8万~12万人の政治犯が拘束されていると指摘した。(『朝日新聞』2月19日付)
この報告書について北朝鮮外務省は21日、「一顧の価値もないもので、全面排撃する」と批判した。
現在、北朝鮮における政治課題の核心は、最高指導者の絶対的地位をどう確保し、“国体”を護持してゆくかにある。
朝鮮労働党は2012年4月に、指導思想をそれまでの「チュチェ〔主体〕思想(金日成思想、金日成主義)」から「金日成-金正日主義」に変更した。さらに党の最高綱領も「全社会の金日成主義化」から「全社会の金日成-金正日主義化」に改めた。
また、「党の唯一思想体系確立の十大原則」も「党の唯一的領導体系確立の十大原則」に変更した。これらが金正恩が政治の表舞台に登場して以来最大の変化である。
今年は金正日が後継者に内部決定されて40周年にあたる。金正日は後継者に決定された直後の1974年2月に「全社会の金日成主義化」を党の最高綱領と宣布し、4月には「党の唯一思想体系確立の十大原則」を党員が守るべき掟として提示した。「全社会の金日成主義化」とは金日成思想を「唯一の指導思想」とし、「すべての成員を首領に忠実な真のチュチェ〔主体〕型の革命家につくりあげチュチェ思想の要求のままに社会を徹底的に改造する」(『金正日同志略伝』)ことである。
1974年の「全社会の金日成主義化」綱領宣布と2012年の党規約改定は、北朝鮮現代史における二つの分水嶺である。
最近、鐸木昌之(尚美学園大教授)著『北朝鮮首領制の形成と変容
~金日成、金正日から金正恩へ~』(明石書店)が出版された。鐸木氏は本書で、「唯一思想体系の確立とは首領制の確立にほかならない」とし、「首領制」が1960年代後半に確立したと述べた。さらに「全社会の金日成主義化」の「核心は首領に絶対的忠誠をつくし、そして無条件服従すること」と記している。
日本の各紙が北朝鮮人権調査委員会の最終報告書に関する記事を掲載したのと同じ日、『労働新聞』(2月19日付)は「全社会の金日成主義化綱領宣布40周年記念中央報告大会」が18日平壌・人民文化宮殿で開かれたことを伝えた。
大会では金己男書記(宣伝扇動担当)が「全社会の金日成主義化」綱領宣布によって、「全社会が・・・ただ首領の思想と領導だけを忠実に奉ずる純潔で強力な革命隊伍へと強化発展した」と報告した。さらに「金正恩同志の領導に従い全社会の金日成-金正日主義化を急ぎ強盛国家建設偉業の最後の勝利を早めよう」と訴えた。
北朝鮮は「全社会の金日成主義化」綱領によって、首領を“神”の地位にいただき、人々はその“神”に従う“信者”ないしは“臣民”の関係になった。
北の人々は“神”の“愛”を受ける“信者”として、学習や日常生活を通じて「自らすすんで精神的拘束」を受けるのが、「全社会の金日成主義化」、「全社会の金日成‐金正日主義化」の本質である。このため北朝鮮人権調査委員会は北に「思想や言論の自由がない」と判断し、北朝鮮は「全社会の金日成‐金正日主義化」を自ら選択したものと主張し報告書に反論するのである。
『労働新聞』は2月19日付に社説「偉大な金日成‐金正日主義の旗高くチュチェ革命偉業、強盛国家建設偉業を輝かしく実現しよう」を掲載したのに続いて、21日付には「全社会の金日成‐金正日主義化を力強く早めよう」、22日付には「全社会の金日成‐金正日主義化偉業に積み上げられた不滅の思想理論業績」を掲載した。24日からは「朝鮮労働党第8回思想活動家大会」が10年ぶりに開かれた。
金正恩第1書記は思想活動家大会で演説し、改めて「全社会の金日成‐金正日主義化」を訴え、なによりも「党の唯一的領導体系」を打ち立てることに集中すべきことを強調した。これは張成沢の粛清を念頭におき、権力の強化と体制引き締め=さらなる「精神的拘束」をねらったものである。
北朝鮮人権調査委員会が指摘した人権侵害と「全社会の金日成-金正日主義化」は表裏の関係にある。しかし日本の各紙は北の人権状況と「全社会の金日成-金正日主義化」綱領との関連を一切指摘していないし論じてもいない。
畑山康幸(東アジア現代文化研究センター代表)