▶ 2014年3月号 目次
1973年・第四次中東戦争体験記⑥ - 国破れて山河"無し" -
鶴木 眞
第4次中東戦争は、イスラエルにとって国家存亡の危機であった。杜甫の詩に「国破山河在、城春草木深」がある。しかしユダヤ人には、この詩は通用しない。戦いに敗れれば、山河草木は自分たちのものでなくなってしまう。ユダヤ人に「パレスチナ」という地名は地図にない。そこは「ジュディア・サマリア」である。紀元135年ローマの支配に対する反乱が鎮圧されると、ユダヤ人は徹底的に弾圧され「神から約束された土地」から追放され(ディアスポラ)、山河をふくめ地名からユダヤ(イスラエル)人と関係あるものはすべて消し去られた。1945年9月、連合国に敗れた後で、大和民族は日本列島から追い出され、富士山も東京や京都の地名もすべて戦勝国の意のままに変更されるようなことは、千島列島と樺太、南洋諸島を除いて日本では起こらなかった。
第一次世界大戦後の「一民族一国家」の気運が高まる中で、自分たちの国家を復興させるべきだという主張が、ユダヤ人の間で支持を拡大した。この動きは「現代シオニズム」と呼ばれた。これとは対照的に、ユダヤ人差別を「共産主義革命」の実現によって、居住社会に溶け込む道を選ぶべきだとする主張もユダヤ人の間で支持を拡大した。「リトアニア・ポーランド・ロシアユダヤ人労働者総同盟(Bund)」が目指した道であった。
ソ連邦初期の指導者の中には多くのユダヤ人が名を連ねている。天才的な革命戦略家であり、後にスターリンと路線対立して亡命先のメキシコで暗殺された「レオン・トロツキー(1879-1940)」もユダヤ人である。多くのユダヤ人は、ソ連邦内部での民族自治をめぐり、ユダヤ人を民族とは認めないスターリンと対立し、厳しく弾圧されることになった。
他方、ヒットラーにより600万人のヨーロッパ・ユダヤ人が虐殺された「ホロコースト」からのユダヤ人が導き出した教訓は、「現代シオニズム」支持者を優勢にした。世界に散在するユダヤ人が迫害に直面した時に逃げ込むことが出来る「退避場所」としての「ユダヤ国家」の再興と、国家防衛のための強い武力の保持(IDF=イスラエル国防軍)であった。第二次世界大戦は、イスラエルと日本人に正反対の「民族的教訓」を引き出させることになった。1973年10月6日の戦端が開かれてから僅か2日で、イスラエル国防軍はエジプト戦線でも、シリア戦線でも夢想だにしなかった敗北と後退を余儀なくされた。
イスラエルの都市では夜間に灯火管制がしかれ、私は毎夜、空襲警報が鳴り響かないことを祈りながら、夜空の星をベランダから眺めて過ごした。しし座流星群に関係なくとも、随分、流れ星はあることを認識した。町会からの司令で、ガラス窓には飛散防止のテープを米印に貼り、水を鍋や風呂のタブにため、日に日に少なくなっていく食料品に心細い思いをつのらせた。それにしても戦争がはじまった初日、空襲警報が解除されると真っ先に人々が向かった先はスーパーマーケットや食料品をあつかう商店だった。ベランダからその光景を不思議な想いで観ていた私が、事の緊急性に気付いたのは暫くたってからであり、大急ぎで出かけたスーパーで手に入れることが出来たのは少量の馬鈴薯だった。食糧・飲料水、タバコ、トイレットペーパー、電池などの生活必需品は見事に、無くなっていた。
鶴木 眞 綱町三田会会員(東大名誉教授)