▶ 2014年4月号 目次

被災地をむしばむ「惨事便乗型”復興“」~東日本大震災から3年~(上)

松舘 忠樹


3・11。あの日、想像を絶する惨状に私たちはたじろいだ。2万人に迫る犠牲者。数字の重さに言葉を失った。しかし、こうも思った。これだけ豊かな日本の社会だ。数年のうちに傷をいやしてくれるだろう。あれから3年。風景は確かに変わった。がれきは片づけられ、壊れた建築物は撤去された。海辺には空き地が拡がっている。しかし、そこに街の姿はない。暮らしの痕跡もない。期待は見事に裏切られた。何がそうさせたのだろう?もどかしい想いをかかえて、被災地の人々は4年目に向け歩み始めた。
 高台への集団移転、海岸を取り囲む巨大防潮堤。中央政府、自治体がこぞって、これしかないとばかり進めてきた“復興”事業のニ本柱だ。
移転地を確保するため山を切り崩す集団移転事業。削った土砂で海辺の土地をかさ上げする。元の中心部の地域を10メートルかさ上げするところもある。仙台以南の平野部を除けば、計画通り進んでいるところは少ない。何しろ数百年も祖先が暮らしてきた、海辺の地形を一変させようというものだ。事業の遅れとともに、経済力のある人は自力再建。一方、高齢世帯を中心に移転再建をあきらめて、災害公営住宅の入居希望が増えている。
総額1兆円かけて建設される巨大防潮堤。ここにきて、住民の“ノー”の声が各地で上がる。震災の恐怖から覚め、冷静に計画を聞く。高いところで14,7メートル。目の前の海が見えなくなる。壁の内側での暮らしは、海と隔絶される。住民の合意を無視して進められるマンモス防潮堤に、住民が異を唱えるのは当然だ。農地もない無人島に20億円かけて防潮堤を作る計画はさすがに見直しされた。